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歴史万華鏡コラム 2026年11月号

更新日:2026年10月30日更新 印刷ページ表示

歴史万華鏡
高知市広報「あかるいまち」より

鹿持雅澄と『万葉集古義』

11月号写真

潮江天満宮で初詣の列に並んでいた時、能登半島地震が発生し、それ以来、普通の初詣はやめて福井町の古義(こぎ)軒(けん)趾(し)を訪(と)い鹿(か)持雅澄(もちまさずみ)の墓にお参りをするようになったのだが、去年の正月三日、展(てん)墓(ぼ)の後近くの古書店に寄ると、伊藤博(はく)という万葉学者の『万葉集釋注(しゃくちゅう)』という文庫本全十冊の内九冊が棚に並んでいたので、これも古義軒先生の導きと思い、直ちに購入して帰り、欠けていた第一冊を書店で購入し早速翌日から読み始めた。

高校の頃、斎藤茂吉の『万葉秀歌』などで親しんで以来、五十数年ぶりの万葉集である。東京で働いていた頃、神保町の古書店巡りをしてよく明治大正の頃の『万葉集』注釈本の古本を見かけたのだが、その多くに雅澄の『万葉集古義』を底本としたという前書が付されていて、江戸時代の諸家の注釈書を集大成したという雅澄の訓(よ)みが一種のスタンダードになっているのを実感したものだった。伊藤氏の『釋注』にも参考文献に『古義』が挙げられているので、基本的な訓みは『古義』に則(のっと)っているのだろうと思って読んでいると、私の記憶に馴染(なじ)んだ柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)の「東(ひむがし)の野にかぎろひの立つ見えてかへりみすれば月かたぶきぬ」の歌の最後が「月西渡る」となっている。あまりの違いに愕然(がくぜん)として、岩波文庫新版の『万葉集』を見ると、こちらは「月かたぶきぬ」のままだが、冒頭が「野らに」となっている。「野ら?」と驚き、どちらの訓みにもひどい違和感を覚えて頭が混乱した。研究者の考えで訓みが改まるのはやむを得ない事とはいえ、この歌は私にとっては記憶にある雅澄の訓みの姿でないとポエジー(詩情)を感じないのである。

これ以後はオーテピアで『古義』と突き合わせながら読み進めたのだが、『古義』と異なる訓みが頻出し、これが最先端の万葉学かと複雑な気持ちになりながら、一年半かかって六月に全巻を読み終えた。一つ救いだったのは、伊藤氏の解説の所々で雅澄の解釈の先見性と創見性が指摘されていて、改めて雅澄の仕事の偉大さを再認識した次第である。六月の末、雅澄の墓にお参りをして、以上の『万葉集』読書の経緯を雅澄の霊に報告し、私自身のこれからの精進を誓って鶯(うぐいす)の鳴く福井の里を後にしたことだった。

特定非営利活動法人 地域文化計画 中越 昌一

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※このページは、高知市広報「あかるいまち」に掲載されている「歴史万華鏡」のコーナーを再掲したものです。

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