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歴史万華鏡コラム 2024年02月号

更新日:2024年1月31日更新 印刷ページ表示

歴史万華鏡
高知市広報「あかるいまち」より

辻(つじ)売(う)りの習俗

2月号写真
●才谷屋文書の日記類

さまざまな人間関係の中で、親子関係は強いつながりを持つものと考えられるが、日本では実の親子以外に擬(ぎ)制(せい)的な親子関係を結ぶ仮親の習俗が存在してきた。取上げ親、名付け親、烏帽子(えぼし)親など、その多くは実の親子以上に強いつながりを持つといわれている。

高知県では、子どもが病気になったときや生まれつき体が弱い場合、辻に子どもを連れて行き、最初(地域によっては三番目)に通り掛かった人に仮親になってもらう「辻売り」と呼ばれる習俗が存在した。病気の子どもの代わりに辻に子どもの着物を持って行くこともあった。名前を付け替え、呼び名として使われる。仮親と子の関係は一生続き、子は仮親に盆や暮、正月などにお土産を持って挨拶に行くという。

辻売りがいつ頃から行われていたか確かではないが、江戸時代の中期には浸透していたようで、当時の日記にその様子が記されている。高知城下の豪商才谷(さいだに)屋(や)に由来する『順(じゅん)水(すい)家記(かき)』の享(きょう)保(ほう)17(1732)年に「三月十八日、家(か)君(くん)翁赤岡村弘(おうあかおかむらひろ)田氏(たし)ヲ訪(と)ふため卯(うの)刻(こく)自宅ヲ発シ給(たま)フ処(ところ)、本町壱丁目ノ角ニ於(おい)て宮崎(みやざき)久(きゅう)兵衛(べえ)一男(いちだん)子(し)ヲ辻売にするに逢(あい)、翁に約(やく)ヲ願ヒ即(すなわち)之(これ)ヲ祝(いわ)ヒ、名ヲ八三郎(はちさぶろう)ト称(しょう)ス」(県立図書館蔵)と記されている。たまたま出くわした見も知らずの人の仮親になるのであるから、この風習が広く知られ、行われていたといえるだろう。

また、神(こう)田(だ)村(むら)(現高知市神田)の弘(ひろ)間家(まけ)には次のような話が伝わっている。「安政(あんせい)五(1858)年頃、神田村高(こう)座(ざ)の里に銀助(ぎんすけ)、別名熊(くま)次(じ)という貧しい百姓がいた。銀助八十余歳、浦戸の夜釣りの帰りに、散田(さんでん)という現在の三翠園界隈の辻に差しかかった時、不意に暗闇から三葉の提(ちょう)灯(ちん)が浮び上る。同行の知(ち)友(ゆう)たちは闇の中に逃げ去ったが、取り残された銀助は山内幼君(やまうちようくん)の辻売りを申しつけられる。それは西(にし)御屋(おや)敷(しき)の若君(わかぎみ)で、病弱であったが、熊次の『熊』の一字をとって名を改め、明治末年まで長生きしたという。銀助は弘間の名字を賜(たまわり)足軽に抜擢(ばってき)された。」
(『稿本鴨(こうほんかも)田地区史(だちくし) 実録編』より要約)

伝承ではあるが、身分を超えて親子関係が結ばれたと語られているのは興味深い。いつの時代も子の幸せを願う思いは変わらないということであろうか。

県立図書館 司書 古谷 留美

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※このページは、高知市広報「あかるいまち」に掲載されている「歴史万華鏡」のコーナーを再掲したものです。

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