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歴史万華鏡コラム 2023年12月号

歴史万華鏡
高知市広報「あかるいまち」より

高知師範学校と小砂(ささ)(おか)忠義(ただよし)

12月号写真
●小砂丘忠義
(1897(明治30)年~1937(昭和12)年

高知市立城西中学校と第四小学校の間にある大膳町公園には、かつて教員養成のための高知師範学校があった。

その歴史は、明治7年に旧()道館(どうかん)を校舎として設立した(とう)()学舎(がくしゃ)に始まり、幾度かの名称変更を経て明治32年にこの地に移り、昭和20年7月4日の高知大空襲で校舎の大半が焼失した。

公園の入口に今も高知師範学校の門が残っている。半壊したまま半世紀が過ぎたが、平成13年、卒業生有志の働きかけで修復され、在りし日の姿を伝える文化的遺産となっている。

この門を、「生活(せいかつ)(つづり)(かた)の父」小砂丘忠義が初めてくぐったのは、大正2年2月、入学試験のためだった。元々受かりたいとも思っていない15歳の小砂丘(本名笹岡)は、試験の答案を「平気の平左でやってのけ」、さっさと外に出てクルミの木の下で日なたぼっこをするような少年だったが、当人の予想に反して合格し、4年間をこの大膳町の学舎で過ごした。

大正初期の師範教育は小砂丘にとって「官僚気分の抜けきらぬ」もので、自身の自由な精神とは相いれぬ面もあったが、同級生に(なら)って始めた中央雑誌への詩文投稿、ルソーやニーチェ、ドストエフスキー作品の耽読(たんどく)、生涯の友との出会いなど、ここでの4年間は、小砂丘の土台を作ったものの一つであることは間違いない。

卒業後、母校の杉尋(すぎじん)(じょう)小学校(現在の大豊町)を皮切りに、県内の小学校で生活綴方教育を実践。小砂丘がめざしたのは、単に文章を書く技術としての綴方ではなく、子どもたちの生活と自由意志に基づく綴方であり、それによってなされる「自己という個の発見」であった。

大正14年の上京後は『(かん)(しょう)文選(ぶんせん)(後の綴方読本(とくほん))』や『綴方生活』等の編集発行に携わり、全国の良心的な小学校教師の熱狂的支持を集め、生活綴方の指導と普及に努めた。

高知県立文学館では、直筆原稿や日記、死の直前まで発行を続けた『綴方生活』等貴重資料を多数所蔵する小砂丘文庫を設置しており、小砂丘忠義研究、綴方教育運動研究者に活用されている。

県立文学館 学芸員 岡本 美和

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※このページは、高知市広報「あかるいまち」に掲載されている「歴史万華鏡」のコーナーを再掲したものです。