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歴史万華鏡コラム 2021年8月号

歴史万華鏡
高知市広報「あかるいまち」より

高知文学碑通り

8月号写真
●寺田寅彦「花物語」文学碑

城西公園の西側、江ノ口川のほとりの桜馬場には、文学碑が四基並ぶ。春になれば桜と黄梅(おうばい)が川面に散る風情が美しく、また初夏には南側に藤の花が見事に咲いて人々の目を楽しませるが、ここが「高知文学碑通り」でもあることをご存じだろうか。

北に位置するのは、物理学者であり随筆家である寺田寅彦の碑である。碑には寅彦三十一歳の時に書いた作品「花物語」より、幼い頃高知城近辺で遊んだ思い出をつづる「昼顔」の冒頭部分が刻まれる。「宅の前を流れてゐる濁つた堀川に沿うて半町位上ると川は左に折れて旧城の裾の茂みに分け入る……」の部分は寅彦の旧邸(現在の寺田寅彦記念館)から見た川の風景とも重なり、ちょうどその「左に折れ」る所に碑はある。実はこの話は寅彦の追憶と創作が入り混じり、実際の風景とは異なる部分もあるのだが、優れた文学作品であることは間違いない。

そこから少し南に歩くと、馬場孤蝶(ばばこちょう)の句碑が建つ。孤蝶は北村透谷(きたむらとうこく)や島崎藤村(しまざきとうそん)らと共に雑誌「文学界」で活動した人物で、孤蝶を訪ねて高知に藤村が来たこともある。句碑には孤蝶の細い筆跡で、こう刻まれる。“鯨去る行方を灘の霞かな”

鯨の多くは夏に極地に移動し、冬は温暖な海に回遊するので、日本には冬に多く姿を現す。そのため鯨は冬の季語、霞は春の季語だが、この場合「鯨去る」で冬が去り、暖かな季節が巡ることを表している。

次に建つのは高知県池川町(現・仁淀川町)の池川中学校の教諭だった竹本源治の「逝(ゆ)いて還(かえ)らぬ教え児よ……」に始まる悲嘆の反戦詩碑。さらに南にあるのは二十六歳の若さで亡くなった詩人・槇村浩(まきむらこう)の詩碑である。槇村はかつてここに隣接していた高知刑務所に入獄し、拷問がもとで病没した。詩碑には代表作の一つ「間島(かんとう)パルチザンの歌」の冒頭「思ひ出はおれを故郷へ運ぶ……」が刻まれている。

花の季節も、そうでない季節も、ここでしばし立ち止まれば、文学の言葉を味わうひとときを楽しむことができるだろう。

高知県立文学館 学芸員 川島 禎子(さちこ)

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※このページは、高知市広報「あかるいまち」に掲載されている「歴史万華鏡」のコーナーを再掲したものです。