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歴史万華鏡コラム 2026年02月号

高知市広報「あかるいまち」より
通りかかった二人
(部分、高知県立図書館蔵)
物理学者にして優れた文筆家でもあった寺田寅彦に、「安政時代の土佐」で起こった刃傷事件にまつわる文章がある。事件で詰め腹を切らされた若者の祖母にあたる人が、悲しさのあまり炭のついた手で自分の顔をなで回し、真っ黒になった彼女の顔を見た親族らは、そのような悲惨な状況でも皆笑ったという、いかにも寅彦らしい余韻を残す短章であるが、この話は実際に幕末の高知で起こった事件が基になっていると思われる。
文久元(1861)年3月4日夜、高知城下西郊の井口村永福寺門前で、上士山田広衛が下士中平忠次郎を斬った。路上でぶつかったことがそのきっかけであったらしいが、忠次郎に同行していた宇賀喜久馬は、忠次郎の兄池田虎之進に急を告げ、現場に駆け付けた虎之進は、路傍の川端で喉を潤していた山田を斬り、山田の同行者であった益永繁斎も斬り殺してしまった。上士と下士の対立を背景に緊張が高まる中、虎之進と喜久馬が切腹することで、事態はいったん収まる。
井口事件として、『汗血千里駒』や『竜馬がゆく』にも登場するこの一件で、虎之進とともに切腹した宇賀喜久馬は、寅彦の叔父にあたる人であった。切腹する喜久馬の介錯を務めたのは、実兄である寅彦の父利正であったと言われる。
明治の元勲佐々木高行も、『勤王秘史佐々木老侯昔日談』の中で井口事件に言及しているが、その談話の中に、忠次郎の遺骸を現場から運び去ろうとした下士たちに、藩法に従って遺骸を動かしてはならぬと諭す、二人の人物が登場する。上士諏訪重中と長屋重名。二人はたまたま現場に通りかかったものらしいが、血生臭い一団を制止するとは、なかなかの豪胆ぶりである。
諏訪も長屋も明治の世では軍人として生きたのであるが、両者ともに画人としても知られた。高知県立図書館は二人の作品をいくつか所蔵しており、デジタルギャラリーでも見ることができる。
高知県立図書館 渡邊 哲哉
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※このページは、高知市広報「あかるいまち」に掲載されている「歴史万華鏡」のコーナーを再掲したものです。



