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歴史万華鏡コラム 2025年07月号

歴史万華鏡
高知市広報「あかるいまち」より

先輩「(あお)す」の存在

7月号写真
© 横山隆一
●横山隆一宛のオリジナルデザイン年賀状

青山茂(1908~1981)は、まんが家横山隆一にとって城東中学校(現高知追手前高校)の一年先輩であり、今話題のやなせたかし・(のぶ)夫妻の高知新聞社時代の上司にあたる人物である。東京市に生まれ、大正15(1926)年に城東中学校を卒業し、その後、早稲田高等学院から同大学政経学部に進学した。水泳部で郷土出身のヘッドコーチ宮畑虎彦らの指導を受け早慶戦、全国インターハイなどで活躍する。京都での全国高専大会にて800メートル自由形で1着となり、オリンピック選手高石勝男の日本記録を更新した。

一方、新聞記者になることを決意し、同学を退学。紀州の資産家西村伊作が自由で快活な生活ができる学校を望み、詩人与謝野寛・晶子夫妻、洋画家(いし)()(はく)(てい)等の賛同を得て、大正10(1921)年に創立した文化学院でジャーナリズム講座を受けた。昭和8(1933)年、高知新聞社に入社し、記者見習一年の後、学芸部記者となる。

中学時代からのあだ名は「青す」(呼び方は起伏を付けず平坦に読むと、隆一子女より伝え聞いた)。当時苗字に「す」をつけて呼ぶのがあだ名の定番であったようだ。これは接尾語の「す」で、人名または人を表す名詞に付いて、親愛や軽い尊敬の気持ちを表す語である。編集長を務めた郷土文化雑誌『月刊高知』の編集後記には「AOS」と書かれている。

隆一は青山について、「彼は昔から高知と私の間のパイプ役をつとめてくれた。高知の用はすべて『青す』の指示を受けた」と随筆に記しているが、隆一を通じて「漫画集団」、同窓の小説家田岡典夫ら「博浪(はくろう)()」同人との交友関係は広く、新聞人として多くの高知の文化事業推進役を務めた。また、高知を訪れる文化人のお世話をした。小説家()(ぶせ)(ます)()の『取材旅行』には青山の名前が登場する。

文化振興は勝手に成るのではなく、努力をしなければ成り立たない。人と人、文化をつなぐ「青す」のような存在が、私たちの日常を豊かにしてくれるのではないだろうか。

横山隆一記念まんが館 学芸員 大野 雅泰

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※このページは、高知市広報「あかるいまち」に掲載されている「歴史万華鏡」のコーナーを再掲したものです。