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歴史万華鏡コラム 2023年07月号

歴史万華鏡
高知市広報「あかるいまち」より

明治の研究者たち

7月号写真
●松浦佐用彦の墓碑

本年は行基菩薩ゆかりの寺院とされる竹林寺や定福寺などが開創1300年を迎え、歴史が実感できる年となっている。歴史には転換期がある。明治時代もその一つだと考えられる。

今、牧野富太郎が注目を集めている。牧野富太郎と深い関係の東京大学理学部植物学教授の矢田部良吉と松村任三(じんぞう)がいる。同時期に同大学動物学教授としてエドワード・S・モースが着任している。モースの第一学生が豊永郷(とよながごう)(大豊町)出身の松浦佐用彦(さよひこ)である。4人は、初の臨界実験所を江ノ島に作り採取調査を行い、後に大森貝塚の発掘も行っている。

モースは、日本でダーウィンの進化論を講義した初期の人物であり、本人所有の『種の起源』を佐用彦に渡した記録がある。学問への機運が高まり、東京大学の地質学、動物学、人類学の学生などが「博物友会」を設立した。設立メンバーに佐用彦の名前もある。佐用彦は日本人最初の考古学者であり、初期に『種の起源』を読んだ人物であり、学を追求した人物である。

佐用彦は1878年7月5日に早世(そうせい)し墓碑の表には「高知県松浦佐用彦」、裏にはモースと書家の日下部(くさかべ)東作(とうさく)の言葉が刻まれている。墓地を護ったのは、佐用彦の学友で香南市出身の末延(すえのぶ)道成(みちなり)だった。道成は後に「三菱四天王」と称される。

佐用彦の父は、定福寺過去帳に名前が残る。その縁もあり令和3年12月に定福寺境内に佐用彦の墓地が谷中霊園より改葬され、約150年ぶりに帰郷した。万感の思いである。現在「松浦佐用彦と研究者たち」という企画展が豊永郷民俗資料館で開催中である。

『動物学雑誌』に「ナチュラルサイエンスは封建時代の因襲と束縛から解放されて洋の東西から新知識の吸収を渇望した。(くに)の外へ(これ)を求めに(ある)いは國の外から之を迎へて(とも)に新文化の建設に急いだのである」とある。幕末以降、佐用彦や牧野のように高知から上京した人が多くいた。

「物の荒廃は必ず人による 人の昇沈は定んで道にあり」この言葉を残した弘法大師空海の生誕1250年も本年である。

定福寺(じょうふくじ)宝物殿 学芸員 釣井(つるい) 龍秀(りゅうしゅう)

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※このページは、高知市広報「あかるいまち」に掲載されている「歴史万華鏡」のコーナーを再掲したものです。