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歴史万華鏡コラム 2023年02月号

歴史万華鏡
高知市広報「あかるいまち」より

中世の山城(やまじろ) 森山城跡

2月号写真
●上空からみた森山城跡

森山城跡は高知市春野町森山に位置する中世の山城である。山城とは山を利用して土で造った防御設備等を持つ軍事施設で、天守や高石垣を持つ江戸時代の城より古く、主に南北朝時代から戦国時代にかけて造られ、県内では約七百の山城跡が確認されている。

令和二・三年度の県道建設工事に伴い、森山城跡を記録保存するために発掘調査を行った。標高23メートルの極めて小規模な山城で、発掘調査は初めてとなる。調査は北側の一部ではあったが、竪堀(たてぼり)や堀切(ほりきり)といった溝を掘ることで敵の侵入を防ぐ遺構や、丘陵を急傾斜にすることで登りにくくする切岸(きりぎし)など、さまざまな工夫を凝らした防御遺構が確認された。また、戦国時代には大掛かりな造成を行い大改修をしていたことも明らかとなった。丘陵裾部では自然流路や湿地が確認され、自然地形を利用することで築城に掛かる労力を省き、守りを固めていた。

さらに隣接する二ノ塀遺跡の調査では、山城と同時期に存在した二重の堀で囲まれた屋敷跡が確認され、生活の場である屋敷が併設された山城であることも明らかとなった。

出土遺物では鎧(よろい)の一部である小札(こざね)や鉄鏃(てつぞく)、刀の部品である切羽(せっぱ)が出土し、戦いの場であったことを物語っている。また白磁や青磁等の貿易陶磁器のほか、瀬戸や畿内、備前などの南海航路によって運ばれた他地域の遺物も多く見られた。十四世紀後葉から十六世紀前半までの遺物が数多く出土しており、主に南北朝期と戦国時代の二時期に機能していたことが明らかとなった。森山城跡では十六世紀後半の遺物が見られない一方、二ノ塀遺跡では十七世紀初頭までの遺構や遺物が見られる。

天正十七(1589)年の『長宗我部地検帳』では森山城は廃城となっており、その周辺には香宗我部氏家臣の屋敷地が見られる。この時期には長宗我部から養子となった香宗我部親泰が森山を支配したとされ、検出された二ノ塀遺跡の遺構は 香宗我部氏家臣の屋敷である可能性が高い。現在は清閑な森山の地であるが、発掘調査の成果からは戦国期の勢力の移り変わりが伝わってくる。

県文化財団埋蔵文化財センター 専門調査員 徳平 涼子

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※このページは、高知市広報「あかるいまち」に掲載されている「歴史万華鏡」のコーナーを再掲したものです。