ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
トップページ > 組織一覧 > 広聴広報課 > 歴史万華鏡コラム 2022年12月号

本文

歴史万華鏡コラム 2022年12月号

歴史万華鏡
高知市広報「あかるいまち」より

安政南海地震と仁井田神社玉垣(たまがき)碑

12月号写真

●仁井田神社玉垣碑

高知市仁井田に鎮座する仁井田神社に、幕末に起きた安政南海地震の様子を伝える玉垣碑がある。

安政南海地震は、嘉永7(安政元)年11月5日(現在の暦で1854年12月24日)16時半頃に発生した。前日に起きた安政東海地震と合わせて、全国の死者三万余人、全壊・半壊家屋六万余軒、流失家屋一万五千余軒という甚大な被害をもたらした。土佐藩は津波が襲った沿岸部と火災に見舞われた高知城下を中心に、死者372人、流失家屋3812軒、焼失家屋2460軒という大きな被害を受けた。

ここで、冒頭で紹介した仁井田神社の玉垣碑の碑文を見てみたい。「嘉永七寅十月末より潮くるい、同十一月四日朝すゝなみ入、同五日七ツとき過大地震まもなく大潮入、向々潮くるい候時ハゆたんすへからす、安政四稔丁巳歳令月良辰」

末尾に「安政四稔」とあり、この碑文は地震から三年後に刻まれたことが分かる。内容を分かりやすくすると「嘉永七年十月末から潮狂い(異常潮位)が始まり、11月4日の朝に鈴波(安政東海地震津波の余波とも地震前の海面変化ともされる)が来た。5日16時過ぎに大地震が発生し、間もなく大津波が来た。潮狂いのときには油断してはならない」といったところか。

この碑文には、地震発生前の海面の変化から、地震発生・大津波襲来という被災体験までと、異常な潮位変化があった際には油断してはならないという後世への教訓が刻まれている。

江戸時代には全国で数多くの災害伝承碑が造られた。これらの碑文の内容は、災害で亡くなった人々を慰霊する「慰霊型」と後世への教訓を伝える「教訓型」の二種類の石碑に大別される。現在、県内で発見されている災害伝承碑の碑文は、安政南海地震以前のものは慰霊型のみであるが、それ以後には教訓型が出現し、多数派を占める。

庶民の識字率が向上した幕末にあって、安政南海地震による凄惨な被害を受けた土佐の先人たちは、その被災体験と学んだ教訓を後世に伝えようとした。仁井田神社の玉垣碑も先人が遺した災害記録の一つなのである。

県立高知城歴史博物館 学芸員 水松 啓太

広報「あかるいまち」 Web版トップ > 歴史万華鏡コラム もくじ

※このページは、高知市広報「あかるいまち」に掲載されている「歴史万華鏡」のコーナーを再掲したものです。