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歴史万華鏡コラム 2022年04月号

歴史万華鏡
高知市広報「あかるいまち」より

幕末期の桜の名所「孕山」

4月号写真
●大海津見(おおわだつみ)神社の鳥居と桜
(2021年3月 筆者撮影)

桜の花がきれいに咲く季節、毎年花見に行く計画を立てる方もいるのではないだろうか。もしくは川沿いを歩いている時、車を運転している時、偶然満開の桜並木に出会って心が和むなどということも高知市内では珍しくない。

昔の土佐の人々はどこで花見をしていたのだろう。桜の木には寿命があるからか、桜の名所は時代によって異なる。幕末期の土佐の桜の名所などは、今はもう忘れ去られてしまっている。

「孕山(はらみやま)」は史料に残るかつての桜の名所。幕末期の土佐の画人で桜画の名手であった楠瀬大枝(くすのせおおえ)が、毎年のように花見に出かけた地として日記『燧袋(ひうちぶくろ)』の中にその地名が登場する。そもそも当時の「孕山」とはどこを指していたのかを探ってみると、文化十三(一八一六)年、永野美秋に誘われて行った花見で大枝が詠んだ和歌に「孕山 ひたりみきりとかたわきて 立むかひたる花相撲かな」とあり、孕山が「ひだりみぎり(左右)」に分かれて向かい合い、競うように桜花が咲いている様子が表現されている。この和歌と、大枝が浦戸湾一帯を描いた《吸江図》(佐川町青源寺蔵)や、古い実測図に描きこまれた桜の分布とを照らすと、瓢箪型の浦戸湾のちょうどくびれを形作る部分、現在は西孕の地名が残っている一帯とその対岸とを合わせて「孕山」と呼んでいたのだと推測される。この浦戸湾のくびれを作る東西の山は、五台山の頂上からも眺めることができるが、日記によれば大枝は、時には浦戸湾に舟を出してお花見を楽しんだようだから、「花相撲」の光景ももしかしたら舟の上から見て親しんだ景色だったのかもしれない。

現在、西孕近辺を散策してみると、まばらにではあるが、西孕観音寺の本堂周辺や参道、大海津見神社の鳥居の附近、通称「孕トンネル」として知られる横浜トンネルの周辺など、今でも山間のところどころできれいな花を咲かせた桜の木に出会うことができる。かつて浦戸湾沿いに連れ立って桜を楽しんだ文人たちに想いを馳せながら、ささやかな桜探しをするのもまた乙なものだ。

高知県立美術館 学芸員 中谷 有里

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※このページは、高知市広報「あかるいまち」に掲載されている「歴史万華鏡」のコーナーを再掲したものです。