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歴史万華鏡コラム 2021年9月号

歴史万華鏡
高知市広報「あかるいまち」より

高見山「近重(ちかしげ)真澄(ますみ)の墓」

9月号写真
●近重真澄の墓(写真右側)

高知市の筆山に連なる高見山(皿ヶ嶺)は、夜景や軽登山の人気スポットとして市民に親しまれている。この山の中に、近重真澄という人物の墓があることをご存じだろうか。日本と世界の自然科学史にその名を刻んだ化学者である。

『高知県人名事典』によると、近重博士は、明治3(1870)年9月3日、高知市街北奉公人町(現・上町)に生まれた(同市中島町の可能性もあり)。17歳にして科学に関する論説を漢文で書いたという記録もあることから、少年時代から頭脳明晰だったようだ。

やがて上京した近重博士は、化学の道へと進み、東京帝国大学理科大学へと進学した。そして、同29年に大学院を卒業すると、第五高等学校(現・熊本大学)の教授となり、ここで大きな学術発表を経験する。テルル(原子番号52の元素)の質量を測定し、イギリスの化学雑誌に論文を掲載したのである。この成果は、現在定められている「周期表」のヨウ素とテルルの位置関係を定めるに当たり、根拠となった。

同31年12月、京都帝国大学理工科大学の助教授に就任した近重博士は、その4年後、理学博士となる。同38年以降は、ドイツ、イタリア、フランスの各国に遊学し、世界の最新知識を吸収した。同41年7月に帰国した後は、京都帝国大学理工科大学の教授となり、以後、「無機化学」という炭素を含まない化合物を研究する分野に大きな功績を残している。

龍馬の生まれたまち記念館では昨年、近重博士の生誕150年を機に、展示会を実施した。その前年に、近重博士の関連資料が大量に発見されたことも、展示会の大きな後押しとなった。今後、さらなる研究が進むことを期待したい。

化学は、私たちの生活のあらゆる部分で密接に関わっている。そして、その根幹には、明治という激動期に西洋の学問と向き合い、膨大な研究に携わった多くの学者たちの存在があった。私たちは、このことを決して忘れてはならないだろう。

龍馬の生まれたまち記念館 学芸員 森本 琢磨

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※このページは、高知市広報「あかるいまち」に掲載されている「歴史万華鏡」のコーナーを再掲したものです。