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歴史万華鏡コラム 2020年11月号

歴史万華鏡
高知市広報「あかるいまち」より

帰郷後の西岡瑞穂と制作活動

11月号写真
●瑞穂と妻のとも 作品に囲まれて

安田町唐浜生まれの西岡瑞穂(1888―1973)は、戦前に東京美術学校(現・東京芸術大学)で美術教育を受け、またパリへ留学経験のある数少ない高知県出身画家の一人である。

瑞穂は、パリ留学中、政府サロン・レ・ザルチスト・フランセーに人物画二点と、サロン・ソサイチー・ナショナル・デ・ボザールに風景画三点を出品し、全て入選する等、その実力は高く評価されており、帰国後は長野県諏訪市に居住しながら多くの作品を描き続けた。

しかし、昭和二十八(1953)年に転機が訪れる。姉の危篤の知らせを受け、帰郷中に土佐の風物を題材に絵筆を取るうち、その魅力を再発見した瑞穂は、そのまま約十七年間高知県内で居住した。

瑞穂は初め安芸郡田野町の長男の家に滞在したが、昭和三十(1955)年頃から室戸岬町(現・室戸市)の山田邸に長期滞在しながら、室戸岬の風景画を約二百点制作した。昭和三十一(1956)年頃からは、高知市小川町(現・北本町一丁目)に「アトリエ西岡」を構え、そこを拠点として、約一年かけて浦戸湾を題材に約三百点の作品を制作している。また、昭和三十二(1957)年からは足摺岬の金剛福寺等に宿泊しながら足摺岬の風景画を約三百点制作した。瑞穂はこれらの室戸岬、浦戸湾、足摺岬の風景画を「海岸三部作」と名付けた。

瑞穂の制作には常に妻のともが同行していた。瑞穂が室戸岬で制作する時は日光が画板に反射してまぶしくて描けないため、ともが一日中隣で日傘を差して防いだ。また瑞穂が制作に気が乗らないときも、ともが画材道具を揃え、瑞穂のお尻を叩いて一緒に制作に出掛けたそうだ。

とも自身も絵が好きで得意であったが、当時は女性が芸術の道に進むことが難しかった時代であり、妻として夫の制作活動を献身的に支えることで、自らの創作意欲を瑞穂に託したのかもしれない。

安田まちなみ交流館・和 文化振興企画員 島田 佳香

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※このページは、高知市広報「あかるいまち」に掲載されている「歴史万華鏡」のコーナーを再掲したものです。