資料ギャラリー

 

当館の所蔵資料を紹介します。

 

考古資料

発掘調査で出土した遺物などです。

西分増井遺跡群 仁ノ遺跡 木塚城跡 芳原城跡 その他

 

歴史資料

古文書や工芸品などです。

近世文書 近代行政文書 その他の文書 工芸品

 

民俗資料

民具などの生活資料などです。

生業 衣食住 信仰・遊戯 その他 西畑デコ芝居関連資料

 

 

考古資料

西分増井遺跡群

西分増井遺跡群〔にしぶんますいいせきぐん〕は春野中央部の自然堤防上に所在する、町内最大の遺跡です。縄文時代後期から続く遺跡ですが、なかでも弥生時代後期末から古墳時代初頭にかけて大きく発展し、当時においては県下でも有数の遺跡であったとみられます。

西分増井遺跡群出土資料

※ 同遺跡群の1989年調査の報告書は『西分増井遺跡群』として刊行され、当館で販売しています。

刊行物/調査報告書

 

弥生土器/壷 弥生土器/壷(やよいどきつぼ)
1989年調査において、弥生時代前期末の土坑SK19より完形で出土したものです。

 

匙形土製品 匙形土製品(さじがたどせいひん)
1989年調査において、古墳時代前期の建物跡より、2つに割れて出土しました。

側面からの写真

 

仁ノ遺跡

仁ノ遺跡〔にのいせき〕は現在の仁淀川河口部に所在する遺跡です。弥生時代前期からの遺物が多く出土していますが、広範囲にわたる搬入品や祭祀関連とみられる特徴的な遺物が目立ちます。

仁ノ遺跡出土資料

※ 同遺跡の1992年調査の報告書は『仁ノ遺跡』として刊行され、当館で販売しています。

刊行物/調査報告書

 

籠目土器 古式土師器/鉢(こしきはじき/はち)
1994年調査で採集されたものです。カゴ状の型に粘土を貼り付けてつくった鉢で、「籠目土器〔かごめどき〕」とよばれます。高知県では出土する遺跡がかぎられています。

 

台付鉢 弥生土器/台付鉢(やよいどき/だいつきはち)
1994年調査で採集されたものです。大きく広がる脚部をもった鉢で、弥生時代後期末のものです。

 

木塚城跡

木塚城跡〔きづかじょうせき〕は春野町中央部の丘陵上に所在した城跡です(現在は消滅)。発掘調査の結果、南北朝期に機能していたことがわかっています。また、遺物も多く出土し、その調査成果はそれまでの南北朝期の城跡のイメージに一石を投じることになりました。

木塚城跡出土資料

※ 同城跡の1987年および1999~2000年調査の報告書は『木塚城跡』および『木塚城跡Ⅱ』として刊行され、当館で販売しています。

刊行物/調査報告書

 

硯 (すずり)
1999~2000年調査で出土したものです。流紋岩製の方形硯で、裏面に烏帽子状のものをかぶった人物の線刻がみられます。

裏面の写真
裏面線刻の拡大写真

 

瓦質土器/鍋 瓦質土器/鍋(がしつどき/なべ)
1999~2000年調査で出土したものです。14世紀代の高知県でよくみられる鍋で、「土佐型」ともよばれます。口縁が垂直に立ち上がり、底部の成形は型起こしです。

 

芳原城跡

芳原城跡〔よしはらじょうせき〕は春野町中央部の独立丘陵上に所在する戦国期の城跡です。多くの出土遺物とともに、虎口や大型建物跡などが検出され、その調査成果は大きく注目されました。

芳原城跡出土資料

※ 同城跡の1992年の第5次年調査の報告書は『芳原城跡Ⅲ』として刊行され、当館で販売しています。

刊行物/調査報告書

 

漆器椀と箸 漆器椀と箸(しっきわんとはし)
1985年調査において、城跡ふもとから出土したものです。椀は内面を赤漆、外面を黒漆でそれぞれ塗っており、外面には赤漆による草花文様が描かれています。箸の材質はスギで、両端を尖らせています。
<高知県立歴史民俗資料館所蔵>

 

赤絵/碗 赤絵/碗(あかえ/わん)
1993年調査で出土したものです。人物の絵が描かれた貿易陶磁器で、高知県では唯一の出土資料です。

 

その他の遺跡

上記以外の遺跡で出土した資料です。

 

古式土師器 古式土師器(こしきはじき)
弥生土器の系譜に連なる土器で、数多くの器種があります。西分増井遺跡群に隣接する馬場末遺跡〔ばばすえいせき〕からは、多くの古式土師器が出土しました。
馬場末遺跡出土資料

 

軒丸瓦 軒丸瓦(のきまるがわら)
古代寺院跡である大寺廃寺跡〔おおでらはいじあと〕より採集されたもので、有稜線素弁八葉蓮華文〔ゆうりょうせんそべんはちようれんげもん〕がほどこされています。こうした瓦の出土事例は、高知県でも数少ないものです。
<高知県立歴史民俗資料館所蔵>

 

石鍋 石鍋(いしなべ)
山根遺跡より出土した資料です。石鍋といえば北九州産の滑石〔かっせき〕製が有名で、春野でも木塚城跡より出土していますが、この資料は結晶片岩製であるのが特徴です。
山根遺跡出土資料

 

茶臼 茶臼(ちゃうす)
吉良城跡の推定土居跡から出土した資料です。上臼の部分で、挽き木用の孔が確認できます。
吉良城跡出土資料

 

 

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歴史資料

近世文書

野中兼山自筆の裏書 野中兼山自筆の裏書(のなかけんざんじひつのうらがき)
野中兼山は土佐藩初期の奉行職をつとめた人物で、在職中は藩内でさまざまな政策を実施しました。この資料は、書状での願い出に対して、同日付でそれを認めた旨を書状の裏に書いたものです。
<高知市指定文化財>

裏書の拡大写真
表書写真
読み下し文

 

弘岡村地検帳 弘岡村地検帳(ひろおかむらちけんちょう)
長宗我部〔ちょうそかべ〕氏による慶長2年の検地の記録です。地検帳は山内氏にも引き継がれましたが、原本汚損のため、寛文11(1634)年に原本の写しがつくられました。さらに正徳元(1711)年には、各村で保管・利用するために寛文年間の写本の写しもつくられました。この資料も正徳元年の写しです。慶長の地検帳とは大きく異なる部分もみられ、状況に応じて書き換えられていたことがわかります。

 

近代行政文書

西分村史 西分村史(にしぶんそんし)
大正4(1911)年に当時の村長であった小田玉城が編さんしたものです。原稿と浄本がありますが、いずれも全3巻で、内容は同じです。村のあらゆるデータが網羅されています。県下における自治体史のさきがけといえるでしょう。
※ この資料は翻刻され、『春野町史料第2集』として当館より刊行しています。

刊行物/企画展図録等

 

村誌群 村誌群(そんしぐん)
明治~大正期に作成された、春野の旧村単位の地誌です。全8冊ありますが、大正期に作成された「廣岡中ノ村誌」をのぞき、すべてが明治15(1882)年に作成された資料の写しとなっています。
※ これらの資料はすべて翻刻され、『春野町史料第1集』として当館より刊行しています。

刊行物/企画展図録等

 

その他の文書

春野村建設計画書 春野村建設計画書(はるのむらけんせつけいかくしょ)
昭和31(1956)年の春野村(のちに春野町、現高知市春野町)合併時において作成されたものです。合併後の施政方針などが書かれています。

 

工芸品

香炉 香炉(こうろ)
香を焚く道具です。この資料は、江戸時代の土佐で創設された尾戸焼〔おどやき〕でつくられています。側面の銘文から、製作年代は元文4(1739)年、作者は森田光正とみられます。
<高知市指定文化財>

 

鰐口 鰐口(わにぐち)
寺社の軒先につるし、参拝者が打ち鳴らして参拝の意を表するものです。この資料は青銅の鋳造品で、室町時代につくられたと推定されています。
<高知市指定文化財>

 

 

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民俗資料

生業

船板図 船板図(ふないたず)
船大工が注文を受けたとき、板切れに描く設計図のようなものです。この資料には、船の各部のサイズなどが船の図とともに描かれています。

 

足踏み脱穀機 足踏み脱穀機(あしぶみだっこくき)
稲穂から籾をおとす農機具です。京都のメーカーがつくった流通品で、「報国社扱歯車」などの焼印がみられます。

 

衣食住

あたらしやの型 あたらしやの型(あたらしやのかた)
「あたらしや」は春野でつくられていたお菓子で、これらの型で外側に模様をつけた餅であんを包んだものです。皿鉢料理には欠かかせないものでした。

上からの写真
あたらしや写真

 

銅壷 銅壷(どうこ)
酒を燗する道具です。左側の穴に炭を入れて熱源とし、右側の穴に水を張って銚子を入れます。持ち運びに便利なため、「野風呂」「沖風呂」などとよばれながら、野外でも使われました。

 

下駄 下駄(げた)
この資料は台に表打ちがされており、「表付下駄」とよばれます。鼻緒や台木が赤色であり、特別なときに使われたものとみられます。

 

石油ランプ 石油ランプ(せきゆらんぷ)
一般家庭で使われたランプで、石油を燃料とするものです。石油ランプは幕末期に日本に入ってきたといわれ、明治時代には急速に普及しました。

 

信仰・遊戯

双六 双六(すごろく)
大正期の雑誌の付録です。このようなものは「絵双六」とよばれ、江戸時代に広く普及しました。

 

羽子板 羽子板(はごいた)
羽根つき遊びの道具ですが、もともとは新年の厄除けの意味があります。右の羽子板には押し絵が使われており、飾り用とみられます。。

 

その他

引札 引札(ひきふた)
現在のチラシのようなもので、広告のために使われました。このような色刷りのものが出回るようになったのは明治時代のことでした。

 

西畑デコ芝居関連資料

西畑デコ 西畑デコ(さいばたでこ)
「デコ」とは人形のことで、この資料は明治10年代に旧西畑村で誕生した人形をルーツとすることからこうよばれました。これらのデコを使った西畑デコ芝居は大いに人気を博しました。
人形は1人1体使いで、片方の手で頭をもち、もう片方の手で人形の手からのびる「差し金」をもって人形を操作します。

 

 

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