ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
トップページ > 組織一覧 > 民権・文化財課 > 文化財情報 史跡 能茶山山上窯跡

本文

文化財情報 史跡 能茶山山上窯跡

指定

高知県指定 史跡 指定年月日 昭和47年 5月 6日

名称

能茶山山上窯跡

所在地・所有者

高知市鴨部

写真

能茶山山上窯跡の画像
能茶山山上窯跡

解説

 能茶山[のうさやま]焼きは1820(文政3)年藩の国産事業として開窯、当時需要が増大していた磁器の生産に当った。『陶山記事』に「能茶山は能き土山なれば、窯を築き諸道具を作るに便利宜しかるべしと御詮議」云々と記されている。窯跡は能茶山の南側斜面(高知市鴨部能茶山1356-6、面積250.8平方メートル)にあり、明治維新に至る約50年間、九州出身の陶工等の協力により、極めて良質で品格ある磁器が生産された。
 現在は僅かに階段状の窯床が登り窯の跡をとどめているにすぎないが、その規模は、全長23m、7室のようである。
 『陶山記事』上巻には「八ツ続きの釜」と記され、同書中巻には窯場の全容を示す挿図7葉があり、それによると「陶器窯、素焼窯、土懸窯」の三種に分かれている。土懸窯とは、水簸[すいひ]した土を覆って乾燥させる窯と思われる。いずれも寸法は示されてはないが、1回の焼成に大小1万3,000個の品物が焼かれたとされるから、相当に巨大なものであったと想像される。
 その後、窯は民営となりその伝統の枝を今日に伝えている。

その他の写真

能茶山登窯の画像
能茶山登窯