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文化財情報 有形文化財 西養寺跡無縫塔

2008年12月23日

指定

高知市指定 有形文化財 指定年月日 平成 6年 3月 1日

名称

西養寺跡無縫塔

所在地・所有者

高知市介良

写真

西養寺跡無縫塔の画像
西養寺跡無縫塔

解説

 西養寺[さいようじ]は真言宗の寺院で、走湯山密厳院[そうとうざんみつごんいん]と号した。源頼朝の弟希義[まれよし]の菩提を弔うために建立された寺院である。『吾妻鏡』によると、平治の乱で介良庄に流されていた希義が、東国で挙兵した兄頼朝に呼応するのを恐れた平家は、1182(寿永元)年平重盛の家人蓮池家綱、平田俊遠に命じて希義を年越山[としごえやま]で討つ。希義の遺骸は後難を恐れて葬られることなく打捨てられていたが、生前希義の師であった介良庄の住僧琳猷[りんゆう]に庄内に手厚く葬られた。琳猷は1185(文治元)年伊豆国走湯山権現(静岡県熱海市伊豆山神社)の住僧良覺の仲介で頼朝に面会して、ことの次第を報告した。頼朝は琳猷に関東で一寺の別当職をあたえようとしたが、琳猷は介良庄に帰って希義の菩提を弔いたいとしてこれを辞退した。そこで頼朝は琳猷の住所介良庄恒光名、津崎の在家の万雑公事停止の特権を与え、追善のため希義の墳墓の地に「一箇梵宇」を建立するとともに、供料米68石を与え、不足の場合には庄内の年貢米をあてることを介良庄の地頭兼預所源内民部太夫行景に命じた。この「一箇梵宇」が西養寺で、2年後には建立が遂げられた。希義の法名西養寺殿円照大禅定門が寺名の由来。
 今は廃寺となって建物などはなく、山麓に石垣を築いてつくられた寺地と西方山林中に源希義の墓と伝える無縫塔がたち、その上方に希義神社が鎮座している。