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文化財情報 史跡 吸江庵跡

指定

高知県指定 史跡 指定年月日 昭和28年 1月29日

名称

吸江庵跡

所在地・所有者

高知市吸江[ぎゅうこう]

解説

 南北朝時代を代表する禅僧夢窓疎石[むそうそせき]を開山とする。夢窓は、南北両朝の皇室をはじめ北条氏・足利氏の帰依をうけるが、その前半生は多分に隠遁的宗風を示し、1318(文保2)年執権北条高時の母覚海尼[かくかいに]の招きをさけて土佐に来国し、この地に庵を結んだ。
 滞在2年で夢窓が土佐を離れた後も、門弟で五山文学史上著名な義堂周信[ぎどうしゅうしん]や絶海中津[ぜっかいちゅうしん]のほか、大周周ちょう[だいしゅうしゅうちょう]、西胤俊承[せいいんしゅんじょう]、惟明瑞智[いみょうずいち]らが訪れ、土佐の中世禅宗文化の中心となり、吸江庵の名は明国にまで聞こえたほど有名であった。室町時代、土佐は細川氏の守護領国であったので、吸江庵もその保護を受けたが、室町時代後半になると寺領への侵略などもあって衰退のきざしがみられた。細川氏のもとで吸江庵寺奉行をつとめた長宗我部氏は、その統制を強めはしたが吸江庵を庇護した。長宗我部氏の没落によって一時退転したが、山内氏の入国後、吸江庵を吸江寺と改めた。江戸初期、青年時代の山崎闇斎[あんさい]が当寺で修行したことは有名である。明治の廃仏毀釈で廃寺となったが、1892(明治25)年再興されて現在にいたる。創建期の遺構は確認されていない。