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文化財情報 史跡 南学発祥地

指定

高知県指定 史跡 指定年月日 昭和 28年 1月 29日

名称

南学発祥地

所在地・所有者

高知市春野町弘岡中

写真

南学発祥地
南学発祥地

解説

 吉良氏についての史料『吉良物語』などによれば、戦国時代の吉良氏当主であった宣経(のぶつね)は学問を愛し、天文年間(1531-55)に周防(すおう)国(山口県)から南村梅軒(みなみむらばいけん)を迎えました。梅軒は仏教や朱子学などにすぐれた知識を持つ学僧で、宣経とその一族宣義(のぶよし)らは梅軒の教えを熱心に受けたといいます。この梅軒の教えは、のちに雪蹊寺(せっけいじ)の天質(てんしつ)、そして谷時中(たにじちゅう)、野中兼山(のなかけんざん)に受け継がれ、土佐の朱子学である「南学(なんがく)」へと発展します。宣経らが梅軒の教えを受けたと伝えられる場所が「南学発祥地」として指定されました。

 現在この場所には南学発祥地としての記念碑が建っています。しかし、この梅軒や南学発祥についてはのちに研究が進められ、『吉良物語』などの史料の信憑性が疑われるようになったこともあり、さまざまな異説もあります。