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文化財情報 史跡 小倉少助・三省父子の墓と墓地

指定

高知市指定 史跡 指定年月日 昭和42年 5月13日

名称

小倉少助・三省父子の墓と墓地

所在地・所有者

高知市五台山

写真

小倉少助・三省父子の墓の画像
小倉少助・三省父子の墓と墓地

解説

 五台山の東北端、長江公民館の南の山上にある。少助(1582~1654)は子三省(1604~1654)とともに二代藩主忠義に仕え野中兼山の信頼をうけ、補佐役として功績をあげた。特に少助は林産資源を調査し輪伐制50年を創始した。これで借金を返済し、藩の財力に貢献するところが多かった。しかも性質は穏健で、ともすれば猛進する兼山政治のよい潤滑油となった。1654(承応3)年3月26日没。73歳。
 子の三省は1604(寛永9)年4月8日生。通称弥右衛門、南学者、政治家である。父少助が老体で辞任したいと忠義に申し出た時、「代役は誰があるか」に対して「我が子の弥右衛門がよろしいでしょう」と推挙したほどである。1642(寛永19)年忠義の抜擢をうけ、大扈従[おおこしょう]となり、200石を受け、1648(慶安元)年仕置役となった。父少助が亡くなって僅か3ヶ月後の1654(承応3)年7月15日没。51歳。