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一領具足供養の碑

一領具足

元親が安芸国虎攻めにあたり、兵力増強に思いついたのが「一領具足」である。一領具足とは屯田兵のことである。平素は田を耕し、城から動員の貝が聞こえわたってくると、クワ・スキを放り出し、その場から出陣していく。具足は一領、馬は替馬なしの一頭で戦場を走り回るため、「一領具足」という呼称ができた。

慶長5年(1600年)関ヶ原の合戦で破れた長宗我部氏は、土佐を取り上げられ、その後山内一豊が入国した。浦戸城明け渡しを拒んだ旧臣の一領具足たちは、重役家臣団と対立して戦い、このとき討ち取られた273人の首は大阪に送られ、胴体は石丸塚として一領具足供養の地に葬られた。この戦いを浦戸一揆という。

 

一領具足 

 
場所 高知市浦戸
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