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高知市春野郷土資料館外観

はるの昔ばなし

弘岡のお菊さん

 

 お菊さんは弘岡上〔ひろおかかみ〕の奥谷〔おくたに〕の生まれです。なかなかの美人で、その上体格は六尺豊か、頭の切れが抜群、というわけで、三拍子そろった才媛〔さいえん〕でありました。

 

  “弘岡五千石 広いようでせまい

   お菊嫁にする 婿がない”

 

 これは山内容堂公の作といわれていますが、当時弘岡在でよく歌われた歌で、今でも六・七十才の人はこれを知っているようです。

 荒倉山〔あらくら〕一帯は山内家の持ち山で、いま石灰石をとっている場所のあたりは、猪〔いのしし〕狩りの猟場〔りょうば〕となっていました。容堂公はここでたびたび狩りを催しましたが、時には弘岡の里まで足をのばし、郷士〔ごうし〕の深瀬某の家で休んで行かれることがありました。

 お菊さんは、その頃はたちを少し越えたところ、弘岡在でその名を知らない人は無いくらいでした。父は猟師でしたが、ある時、父の撃ち損なった手負いの猪がこちらへ突っこんで来るのを見て、素手でこれをなぐり倒し、危機一髪父を救ったことがありました。息絶えた猪の前脚を自分のたすきでしばり、父の持っていた荒縄で後脚をしばり、親子二人で猪をかついで帰って来た時は、みんなやんやと言ったそうです。

 こんな事から彼女は、父について猟に行く時はいつもたすきを離さないようにしていました。ある時のお猪狩りに、彼女は病気の父に代って勢子〔せこ〕に出ました。その時、体格が一きわすぐれ、動きもりりしいたすきがけの勢子がいたことを容堂公は見ていたのです。

 幾月かたったある日、領内巡察〔りょうないじゅんさつ〕のみぎり、深瀬某の家でそれがお菊であることを聞き、目通り許すということになりました。しかしお菊は、

 

  “遠目には 芍薬〔しゃくやく〕 近目かぼちゃ花”

 

の一句を使いの者に渡して、容堂公の前には出ませんでした。そこで容堂公は“弘岡五千石”の歌を作り、彼女の身の上を惜しんだといいます。

 お菊さんは何もかもが優れていて、そのため却って人びとから一目〔もく〕も二目もおかれ、遂に良縁を得ることが出来なかったようです。或はお菊さんから見れば、世の男共は頼りないものに見えたかも知れません。

 奥谷の一番奥まったところに、えのき様という小さい祠があります。ここがお菊さんの家跡とも言われ、またここが墓所ではないかとも言われています。目通り二た抱え余り、高さは二十メートルを越えようと思われる大きな榎〔えのき〕の元、鉄格子〔鉄格子〕に囲まれた中の祠には、『所願成就〔しょがんじょうじゅ〕』と書いたお礼詣りの布が四つ五つ下がっています。

弘岡のお菊さんイラスト


山内容堂…やまうちようどう。土佐藩15代藩主の山内豊信〔とよしげ〕の号です。

荒倉山一帯は山内家の持ち山…荒倉山は弘岡北部の山ですが、近世は「御留山〔おとめやま〕」として藩の直接管理となり、人々の立ち入りや材木伐採を禁止していました。

勢子…せこ。狩猟で鳥獣を狩り出す人です。

 

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