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このページは、高知市広報「あかるいまち」に掲載されている「歴史万華鏡」のコーナーを再掲したものです。
歴史万華鏡
執筆「こうちミュージアムネットワーク」の皆さん
ひな祭り
高知市広報「あかるいまち」2019年3月号より
五藤家のひな人形
●五藤家のひな人形
 三月三日の桃の節句が近づくと、ひな人形が飾られるが、なぜ人形を飾るのだろうか。三月三日は上巳(じょうし)の節句といわれる。上巳とは、三月に入って最初の巳(み)の日(のちに三月三日に固定)を言う。節句は、奈良時代より前に中国から伝わった風習で、季節の変わり目に邪悪なものをはらう目的で神様にお供えをする行事である。平安時代から、この日に草や木、紙で人の形に作った「人形(ひとがた)」で体をなでて、災いやけがれをそれに移して、川や海に流すようになったという。この頃、貴族の女の子は、紙や布で作った人形で遊ぶ「ひいな遊び」をしていた。ひな人形が災いを代わりに引き受けてくれるとして、女の子の健康と幸せを願って飾るようになったようだ。この二つが合わさってできたのが、ひな祭りだといわれている。

 江戸時代、土佐藩でも家臣たちが登城して、儀式を行った。家老であった五藤家には、当時の様子を伝える文書が残されている。七代当主、正順(まさより)の日記(寛政八年:一七九六)によると、午前中登城して藩の節句儀式を勤め、昼過ぎに帰宅し、前年に生まれた長女の初ひな飾りを家臣たちに見せている。そして親類や知人、家臣たちから束帯雛(そくたいびな)一対や紙雛二十六対、紙の花、干小鯛、芋、貝などが贈られた。

 一方、庶民はといえば、安政四年(一八五七)に書かれた「御改正風土取縮指出牒(ごかいせいふうどとりちぢめさしだしちょう)」によると、伏見人形(京都の土人形)や紙雛、練(ねり)デコ(土人形)、まりなどを飾り、親類や近所を呼んで、お祝いをしている。今はあまり見られない伏見人形や、飾りまりなどを飾っていたことがわかる。そして、草餅やひし餅、あられの他、根付きの田芋(里芋)、葉つきのニンニク、白酒や甘酒を供えた。田芋は、子孫繁栄を願い、特に子芋がたくさん付いたものが好まれたが、今ではあまり飾られない。

 ひな祭りは時代と共に、飾る人形はもちろんお供えするものも変化している。しかし、子どもの健やかな成長と幸せを願う親の心は変わらず、ひな人形は贈られている。

安芸市立歴史民俗資料館 学芸員 門田由紀
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