●「新京橋埋め立て」(清岡義道 撮影)
本市出身の「まんが家」横山隆一は、明治四十二(一九〇九)年高知市旧堺町、現在の中央公園ステージ東側で産声を上げた。生家の北側には、「新京橋」という橋が堀川に架かっており、その謂(いわ)れは「旧町名案内標識」で知ることができる。さらに深く知ろうと思えば、人づてや文献、写真等で確かめることができる。中でも写真は比較的新しい記録媒体であり、明治後半に入ってカメラは大衆の手に届く存在となる。
隆一もイーストマンのボックスカメラを十歳の頃買ってもらう。蒐集(しゅうしゅう)家としても有名な隆一とカメラとの関係はこの時から始まった。
また隆一は、近所にあった映画館「世界館」で幼少の頃から映画にも親しんでいた。その影響もあってか、昭和六(一九三一) 年「写真化学研究所(のちの東宝映画会社)」に入社、漫画映画の研究としてフィルム研究、動画撮影、スピード分解写真の撮影をしていた。この時の経験がのちにアニメーション制作へと繋(つな)がっていく。
昭和二十六(一九五一) 年、隆一はサンフランシスコ講和会議の取材で渡米した時に、ウォルト・ディズニ―に面会している。その時、当時最先端の制作現場を目の当たりにして、映画制作への熱意を滾(たぎ)らせている。そして四年後の昭和三十(一九五五)年に短編映画「おんぶおばけ」を完成させる。
その後、日本初のテレビアニメシリーズ「ヒストリーカレンダー」を昭和三十六(一九六一)年に発表。これは一分間のミニ番組で、毎日その日に起こった歴史的事件をテーマにリミテッドアニメ(一秒当たりの動画枚数が少なく映像がカクカクと変化する)でまんが的表現をしたものだった。ちなみに手塚治虫の「鉄腕アトム」は、昭和三十八(一九六三)年に放送された日本初の三十分テレビアニメシリーズである。
当館では来年度、隆一の思い入れが詰まったカメラを一挙に展示する企画展を開催予定。みなさんも昔の写真を探して、記憶と記録の間で遊んでみてはいかがだろうか。
横山隆一記念まんが館 学芸員 大野 雅泰
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