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このページは、高知市広報「あかるいまち」に掲載されている「歴史万華鏡」のコーナーを再掲したものです。
歴史万華鏡
執筆「こうちミュージアムネットワーク」の皆さん
県立牧野植物園開園六十周年と「牧野博士像」
高知市広報「あかるいまち」2018年2月号より
牧野富太郎博士の銅像。
●牧野富太郎博士の銅像。
 県立牧野植物園は昭和三十三(一九五八)年四月に開園し、ことしで六十周年を迎える。世界的な植物学者・牧野富太郎博士を顕彰(けんしょう)して作られ、園地、展示館、標本庫、そして牧野博士の蔵書を収めた牧野文庫などからなる総合的な植物園である。

 牧野博士は昭和二十六(一九五一)年ごろに「高知県には植物園、博物館が必要である」と県に要望していた。また、有識者から建設の希望もあり、牧野博士逝去の翌年、高知県により植物園が開園した。

 当初は温室二棟とわずかな園地の小規模な園であったが、竹林寺や五台山の住民の皆さんのご協力で、開園後も園地拡張を行い、現在では約六ヘクタールの広さを持つに至っている。開園から十六年後の昭和四十九(一九七四)年には、南園にカラカサタケを手に持つ牧野博士の銅像が建立された。この銅像は当時の園長・山脇哲臣氏が中心となり奔走し、建立されたもので、山脇氏は当時の思いを「わたしは生身の牧野先生を知っているが、もうすぐ知らない人ばかりになる。」「直接的に牧野博士を感得するものがほしい。」と雑誌の連載に書き綴っている。銅像の製作は彫刻家の本郷新(しん)氏によるもので、費用は全額寄付で賄われた。当時、世の中はオイルショックによる不景気で、東京や大阪から大口の寄付が思うように集まらなかったが、県民や学校、県内企業などの善意で銅像はできあがった。

 落成式は十一月二十三日、ノジギクの花盛りに開催された。博士のふるさと佐川町の中学生による『牧野博士をたたえる歌』の合唱や餅投げ、祝宴が行われ、関係者約三百人が列席した。いかに牧野博士が県民に愛されていたかわかるだろう。

 人間であれば還暦を迎える当年は、英国キュー王立植物園が収蔵する植物画などの貴重な資料を展示する特別展を、記念事業として六月から開催する。牧野博士同様、県民に愛される植物園をめざし、今後も植物の保存・研究・教育普及などのさらなる事業を積み重ねていく計画である。

県立牧野植物園 学芸員 川上 香
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