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このページは、高知市広報「あかるいまち」に掲載されている「歴史万華鏡」のコーナーを再掲したものです。
歴史万華鏡
執筆「こうちミュージアムネットワーク」の皆さん
学ぶ姿
高知市広報「あかるいまち」2017年10月号より
松浦佐用彦(東京大学総合研究博物館所蔵)
●松浦佐用彦(東京大学総合研究博物館所蔵)
 平成二十九年度時点で、市内には六十七校の市立学校がある。『高知藩教育沿革取調』によれば、江戸時代には、藩校や家塾、寺子屋が設置され、追手筋の教授館や丸ノ内の致道館をはじめ、県内に約三十二カ所の学ぶ場が設けられていた。「藩費を以て他国へ遊学せしめ、若くは私費遊学を許したることは古来間ま之ありと雖(いえど)も、安永年間以降近代に至り最も多しとす」とあり、土佐の人々の学を問う姿勢がうかがえる。
 豊永郷(現大豊町東部)の藩士の子であった松浦佐用彦(さよひこ)は、明治七年に東京開成学校に入り、後に東京大学の学生になった。教科書にも登場する大森貝塚の発見で有名な、エドワード・シルバースター・モース(以下「モース」)の助手を務め、日本考古学の第一人者といわれている。
 佐用彦は若くして亡くなった。その死を悼(いた)み、モースは、佐用彦の墓石に言葉を残している。
 「忠実な学徒にして誠実な友、自然を愛した人。物質界でも精神界でも最後に判定をくだすのは権威ではなく、観察と実験であるとの信念を抱いていた人。それが松浦君であった。」(『モースその日その日―ある御雇教師と近代日本―』)
 また、モースは、動物学者であったが、日常の生活用具(民具)などへの興味や関心も持ち、日本各地で民具の収集を行い、分類・整理・保管や展示を自ら行っている。
 佐用彦の出身地、豊永郷にあり、NPO法人が管理運営する豊永郷民俗資料館には、重要有形民俗文化財二五九五点を含む、県内最大規模の民具が保存展示されている。民俗資料館に隣接する定福寺(じょうふくじ)には、佐用彦の父といわれる松浦髑(ていぞう)の史料も残っている。
 アメリカ人のモースと豊永郷出身の佐用彦の出会いは、不思議な縁である。「広く観て、学び、実践する」姿勢が結びつけたのかもしれない。さまざまなことに興味を持ち、問い学ぼうとする態度は、人生を楽しく、豊かにする方法の一つだと思う。何事にも真面目な態度で、生活を楽しめる「人生の達人」に憧れる。

豊永郷民俗資料館 主任学芸員 釣井 龍秀
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