高知市
あかるいまち 高知市トップへ
高知市トップページ  > あかるいまちトップページ  > 歴史万華鏡(もくじ)  > 2017年7月号
このページは、高知市広報「あかるいまち」に掲載されている「歴史万華鏡」のコーナーを再掲したものです。
歴史万華鏡
執筆「こうちミュージアムネットワーク」の皆さん
吉井勇(いさむ)と桂浜
高知市広報「あかるいまち」2017年7月号より
桂浜に建てられた吉井勇の歌碑。
●桂浜に建てられた吉井勇の歌碑。
 明治から昭和にかけて歌人として活躍した吉井勇。全国各地を旅したことから漂泊の歌人とも呼ばれ、昭和六(一九三一)年に初めて高知を訪れた際には、「自然は風光明媚だし、人間は豪放磊(らい)落だし、すっかりこの土地が気に入って」しまったという。勇は高知に滞在している間、友人らと西は沖ノ島から東は室戸岬まで訪れ、その地の風景や自然に、心情を重ね合わせた歌を多く詠んでいる。
 桂浜で詠んだ歌、「大土佐(おほとさ)の海(うみ)を見むとてうつらうつら桂の濱にわれは來(き)にけり」(『人間経』)は、昭和三十二(一九五七)年に歌碑となって龍馬像の裏側に建立された。
 また、桂浜に関連したもので、「大土佐の桂の濱の潮の音(ね)も龍馬思へばここに聽(き)こゆる」(『京洛(きょうらく)史蹟歌』)という歌がある。吉井勇と龍馬との関係には勇の祖父・吉井友実(ともざね)(一八二八〜一八九一)が大きく関わっている。友実は薩摩藩士で、西郷隆盛や龍馬・中岡慎太郎などの志士たちと交わりがあり、慶応三年、友実は西郷の土佐入りに際し、船将として同行もしている。龍馬とも親交が深く、寺田屋事件のときには龍馬をかくまったり、鹿児島での旅行の際には現地で案内役を務めたりした。また、文人的な趣味も持っており短歌も嗜(たしな)んだ。勇が短歌を作るようになったのもこの祖父の影響が大きくあったという。
 勇は龍馬と祖父を題材にした歌も詠んでいる。「龍馬の死聽いてとつかは馳せ付けし祖父(おほぢ)の涙目にも見ゆるかも」(『京洛史蹟歌』)
 全国各地を旅した勇にとって、土佐は龍馬や友実のゆかりの地であり、特別な場所でもあったのであろう。
 なお、桂浜周辺には、大町桂月の句碑や桂月の愛弟子・田中貢太郎の碑、高浜虚子の句碑などもある。勇も桂月の句碑を訪れ、「桂月の碑にまづ酒を手向けたる後(のち)しめやかに聽きし海鳴(うみなり)」(『わが歌日記』)と詠んでいる。
 桂浜に行かれた際には、少し足を伸ばして文学碑巡りをされてみてはいかがだろうか。

香美市立吉井勇記念館 学芸員 矢野 恵
▲このページの先頭へ
高知市トップページ  > あかるいまちトップページ  > 歴史万華鏡(もくじ)  > 2017年7月号
Kochi city
All Rights Reserved. Copyright Kochi-city.