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このページは、高知市広報「あかるいまち」に掲載されている「歴史万華鏡」のコーナーを再掲したものです。
歴史万華鏡
執筆「こうちミュージアムネットワーク」の皆さん
第57回 高知の森林鉄道
高知市広報「あかるいまち」2017年2月号より
魚梁瀬森林鉄道遺構・法恩寺跨線橋(奈半利町)。上部は三光院への道、下部は住民の生活道になっている。
●魚梁瀬森林鉄道遺構・法恩寺跨線橋(奈半利町)。上部は三光院への道、下部は住民の生活道になっている。

 「森林鉄道」は、日本各地の山中に敷設された林業用の鉄道である。従来の河川を利用した水力輸送に代わる画期的な運搬手段として、明治時代から昭和四十年ごろまで活躍した。全国屈指の森林率を誇る高知にもその軌道が張り巡らされ、本線・支線を合わせた線路の総延長は約七百四十キロメートルにも及んでいたのではないかといわれている。
 中でも、国内三番目に開通した県東部の中芸五町村(馬路村・北川村・安田町・田野町・奈半利町)にまたがる「魚梁瀬(やなせ)森林鉄道」は、総延長約二百五十キロメートルにも及び、国内屈指の規模を誇っていた。魚梁瀬杉を運搬するために敷設されたものだったが、当時は中芸五町村を結ぶ唯一の交通機関であったため、移動手段や、食料などの生活物資・家具・家電・映画のフィルムなどさまざまな物の輸送手段としても利用された。また、森林鉄道に乗って嫁ぐ光景も通例となっていたという。大木を切り出す山師や木材運搬の様子、民家の間を縫うように走る鉄道と乗車して移動する人々、線路沿いで遊ぶ子どもたち、駅周辺で魚や米が売買される様子など、森林鉄道と共にあった生活が映された貴重な映像が現在も残されており、「魚梁瀬森林鉄道遺産Webミュージアム」でその一部が公開されている。
 産業と生活を支えた高知の森林鉄道。しかし、道路整備と車の普及に伴い、徐々にその役目を終え、昭和四十二(一九六七)年には県内全ての森林鉄道が廃線となった。
 森林鉄道の痕跡は今でも県内各地で見ることができ、丁寧な石造りの隧道(ずいどう)や巨大な橋梁(きょうりょう)など、魚梁瀬森林鉄道の遺構群の多くが森林鉄道遺構としては日本で初めて国の重要文化財の指定を受けている。
 わたしたちが暮らす地域には、森林鉄道のような文化資源が多く残っているが、日常風景に溶け込み、形を成さないものもあるだろう。改めて地域を見つめることが、文化を伝えていく第一歩につながるのかもしれない。そのような機会の創出に藁工ミュージアムは取り組んでいきたい。

こうちミュージアムネットワーク 藁工ミュージアム 学芸スタッフ 松本 志帆子

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