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このページは、高知市広報「あかるいまち」に掲載されている「歴史万華鏡」のコーナーを再掲したものです。
歴史万華鏡
執筆「こうちミュージアムネットワーク」の皆さん
第43回 「仁淀川」の流れ
高知市広報「あかるいまち」2015年11月号より
野中兼山によって設けられた仁淀川の八田堰(いの町)。
●野中兼山によって設けられた仁淀川の八田堰(いの町)。
 昨年十二月に八十八歳で亡くなられた宮尾登美子さんの小説に『仁淀川』という作品がある。月刊『新潮』に掲載され、二〇〇〇年に新潮社から刊行された。宮尾さん七十三歳の時である。

 この作品は、作家自身の敗戦後の土佐における農村体験を基に描かれている。

 満州で敗戦を迎えた二十歳の主人公が、夫と幼い娘と共に命からがら帰国し、仁淀川のほとりにある夫の生家で暮らし始める。農家の嫁としての生活。病気との闘い。両親の相次ぐ死。絶望の中、残された父の日記にふれた主人公の気持ちは次第に解き放たれてゆき、書くことが心の支えとなっていく様子が巧みに描かれている。

 そして、作家への道を読者に予感させながら、長編は幕を閉じるのである。

 「仁淀川、とその名を呟いただけで、私はいまでも心の洗われるような深い感動をおぼえる。なによりも清浄無垢にして豊潤、その上、奔流もあれば激流もあり、水は浅瀬にも遊べば深淵にもよどみ、そして緩流曲流と全ての変化を備えており、この一流は人の一生に似てすこぶる示唆に富む上、なお下流は悠々として美しいのである」(宮尾登美子著 『記憶の断片』「仁淀川と暮らした二十年」より) 

 宮尾登美子さんによって、小説やエッセイの題材にも取り上げられた清流仁淀川。暴れ川として名高いこの川に、江戸時代、土佐奉行野中兼山によって八田堰(はたぜき)が設けられた。仁淀川の東岸吾川郡八田から西岸高岡郡大内にかけて、長さ二百三十間(約四百二十メートル)の堰である。

 兼山は前年、物部川に山田堰を設けている。「これらの堰は、灌漑(かんがい)の用のみならず、ゆくゆくは土佐国内舟運の大動脈となる」(田岡典夫著『小説野中兼山』中巻「仁淀川」より) 兼山は、そんな夢を描きこの事業に着手したのである。

 かつて人びとはこの川にさまざまな思いを託した。そして今も人びとの思いを包み込むかのように、仁淀川はなお豊潤な流れを放っている。

こうちミュージアムネットワーク 高知県立文学館 学芸課長 津田 加須子
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