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このページは、高知市広報「あかるいまち」に掲載されている「歴史万華鏡」のコーナーを再掲したものです。
歴史万華鏡
執筆「こうちミュージアムネットワーク」の皆さん
第40回 坂本龍馬誕生地の碑
高知市広報「あかるいまち」2015年8月号より
三代目の坂本龍馬誕生地の碑(上町一丁目)
●三代目の坂本龍馬誕生地の碑(上町一丁目)
 平成二十七年は、坂本龍馬が生まれて百八十年の節目である。上町には、龍馬の誕生地を示す石碑があり、連日多くの人々でにぎわう観光スポットとなっている。

 この地に誕生地の碑が最初に建てられたのは明治時代末期ごろで、当時は石碑ではなく木製の柱であったようだ。同碑への揮毫(きごう)は、元土佐勤王党員で維新後には宮内大臣となった田中光顕(みつあき)によって行われた。田中は、現在の佐川町出身で、龍馬らとともに幕末の激動を生き、明治以降は維新志士たちの顕彰活動も進めた人物である。

 昭和三(一九二八)年、碑は市によって花こう岩で建て替えられた。『土佐史談二十五号』によると、碑は市が進める史跡の標柱建設事業の一環で作製されたが、龍馬誕生の地に限っては、上町有志が予算を追加し、大きな碑にしたという。

 昭和二十(一九四五)年、高知空襲によって明治以降も形を変えながら残ってきた龍馬の生家が焼失してしまう。そして、二代目の碑も戦災とその後の復興工事で行方不明になってしまった。おそらく、現在も地下に埋もれているのではないかと思われるが、この二代目の碑に関しては写真すらも残されていない。もしお持ちの方がいらっしゃれば、大発見となるためぜひご一報いただきたい。

 この碑が再建されたのは昭和二十七(一九五二)年のことで、これが現在に残る三代目の碑である。建立の主体となったのは、上町自治会有志・市・県史跡研究会で、当時の内閣総理大臣・吉田茂が揮毫し、除幕式は同年五月二十四日に行われた。

 昭和四十三(一九六八)年には、この碑に台座が設けられ、現在の形となる。この年は県をあげて「明治百年行事」が開催されており、碑の整備はその事業の一環でもあった。除幕式は、十一月十四日に上町の町内有志によって盛大に行われた。

 こうして龍馬誕生地の碑は、上町有志をはじめ多くの人々の力で受け継がれ、現在に至っている。

 龍馬は歴史の中で大きな役割を果たしたが、実はその誕生地の碑そのものにも、脈々と流れてきた一つの大きな歴史が存在するのである。

こうちミュージアムネットワーク 龍馬の生まれたまち記念館 学芸員 森本 琢磨
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