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このページは、高知市広報「あかるいまち」に掲載されている「歴史万華鏡」のコーナーを再掲したものです。
歴史万華鏡
執筆「こうちミュージアムネットワーク」の皆さん
第37回 高知市「最古」の遺跡
高知市広報「あかるいまち」2015年5月号より
高間原1号古墳から出土した細石核(石材はチャート)
●高間原1号古墳から出土した細石核(石材はチャート)
 大津の領石通電停から南へ十分ほど歩いた山麓に、「たかまのはら稲荷神社」がある。

 昭和四十年、神社の宮司さんが高間原(たかまがはら)山を開墾中、標高六十メートルの丘の上で古墳を発見した。大津と介良にまたがって広がる遺跡は「高間原古墳群」と名付けられ、高知女子大学の岡本健児先生を中心に発掘調査が行われた。古墳の内容も注目されたが、この遺跡を一躍有名にしたのは、古墳の中から出土した一つの石の存在である。

 この石は、今から一万五千年前の「細石核(さいせっかく)」、高知平野で初めて発見された旧石器時代の遺物だ。細石核とは、長さ一〜二センチの小さな石の刃・細石刃(さいせきじん)をはぎ取った残りの石である。細石刃は、先を尖らせた骨や木に石刃をはめ込んでヤリにする組み立て式の狩猟具で、旧石器時代の最終期を代表する石器だ。これにより、この場所は高知平野最古の遺跡・高間原遺跡として知られるようになる。

 細石核を発見したのは、慶応大学出身の若き考古学徒・片岡鷹介(ようすけ)さん。「泥の塊(かたまり)の中から偶然見つかった。大学で見慣れた石器だったから分かったのかもしれない。みんな驚いて必死で土の中を探したが、これ以外の石器は見つからなかった」と、片岡さんは語る。

 戦後、全国各地で旧石器時代の遺跡が続々と発見される中、高知平野は「旧石器の空白地帯」と言われるほど遺跡が少なく、旧石器はこの細石核のみという時期が長く続いた。

 細石核発見から約三十年後の平成八年、高間原山から約三キロメートル北にある南国市岡豊町の高速道路予定地から同じタイプの細石核が出土した。後に旧石器時代の岩陰遺跡として注目を集める「奥谷南遺跡」である。これをきっかけに、国分川や物部川沿いから一万五千年〜二万五千年前の旧石器が次々に発見される。他の地域と同じように、高知平野でも旧石器時代人は活発に活動していたのである。

 高知市最古の遺跡は、現在も高間原遺跡である。旧石器人の活動痕跡が残る地形「平野を見下ろす丘の上」で変わった石のかけらを拾ったときには、ぜひ注意していただきたい。第二の高間原遺跡発見の可能性は十分ある。

こうちミュージアムネットワーク 香南市文化財センター 松村 信博
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