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このページは、高知市広報「あかるいまち」に掲載されている「歴史万華鏡」のコーナーを再掲したものです。
歴史万華鏡
執筆「こうちミュージアムネットワーク」の皆さん
第36回 お馬路(うまみち)の幻想
高知市広報「あかるいまち」2015年4月号より
牧野植物園の南園にある「お馬路」の石積み
●牧野植物園の南園にある「お馬路」の石積み
 牧野植物園の南園が、かつて竹林寺の境内であったことをご存じだろうか。元禄二(一六八九)年刊行の『四国遍礼霊場記』に、脇坊が建ち並ぶ境内が描かれており、当時の隆盛ぶりを伝えている。

 この南園を東西に貫く道が、『よさこい節』で有名な南の坊住職・純 信(じゅんしん)と五台山の鋳掛屋(いかけや)の娘・お馬(うま)とのロマンスの舞台「お馬路」であることを知る人は意外と少ない。道は五十七年前の植物園の開園時から変わらずに維持されており、今も土佐の歴史の一端を静かに物語っている。

 わたしは昨年までの五年間、園芸部職員としてこのお馬路の管理に従事した。平成十九年の発掘調査によると、南園の園地からは平安末期〜室町末期の陶磁器片が出土している。このお馬路もまた、貴重な文化財であるため、石積みの目地に生えるシダなどをどのように管理するべきかいつも考えていた。全て除去すれば見事な石積みが現れるが、それでは時代を経た枯れた味わいが伝わらない。造園に詳しい職員に相談したり、休日に県内の寺院の石積みを観察したりするなど、管理方法を思案したものである。

 まだ園地の仕事に不慣れな頃、うだるような夏の午後にお馬路で刈り草の掃除をしていると、ふとある幻想が浮かんだ。

 数百年前この場所で、この道を掃除する小坊主の姿が敷石の向こうに立ち上ったような気がしたのだ。小坊主は住職の命令で、炎天下の中、涙をこらえて一心に箒(ほうき)を動かしている。恐らくふるさとを後にして修行僧になり、早朝から夜半まで、ただ生きていくために働いているのだろう。勝手な思い込みだが、数百年の時を越え、かつての小坊主の気持ちが自分と同期したような、そんな幻想が一瞬脳裏をよぎったのである。

 春先の除草後のわずかな休憩時には、路傍に咲くスミレを摘み、純信さんの元へと急ぐお馬の姿が目に浮かんだこともあった。

 わたしにとっての「歴史」とは、記述を読み、頭だけで想像するものではなく、体を責め、汗を流したときに初めてひらめきが舞い降りて、過去と今とがつながっていくようなものなのである。

こうちミュージアムネットワーク 高知県立牧野植物園 学芸職員 里見 和彦
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