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このページは、高知市広報「あかるいまち」に掲載されている「歴史万華鏡」のコーナーを再掲したものです。
歴史万華鏡
執筆「こうちミュージアムネットワーク」の皆さん
第25回 高知城の基盤〜日本屈指の4億年前の古期岩類〜
高知市広報「あかるいまち」2014年4月号より
かつて角閃岩の間詰石があった高知城追手門の石垣(矢印部分)
●かつて角閃岩の間詰石があった高知城追手門の石垣(矢印部分)
 高知城は小規模ながら安土桃山風の古い形式を残した均整のとれた美しい城で、国の重要文化財に指定されている。しかも、高知城が建つ大高坂山は、日本屈指の古い約4億年前の岩石からできている。地球深部から上昇してきた蛇紋岩(じゃもんがん)を伴う「黒瀬川構造帯(くろせがわこうぞうたい)」と呼ばれる大断層帯に位置し、主に「角閃岩(かくせんがん)」と呼ばれる変成岩から成り、ごく一部に「黒雲母片岩(くろうんもへんがん)」も見られる。

 これらの岩石は、かつて赤道付近の、しかもオーストラリアの近くに存在していた「黒瀬川地塊」と呼ばれる微小大陸を構成していたもので、インド・アフリカ・南アメリカ・南極大陸などから成る超大陸「ゴンドワナ大陸」の断片でもある。同様の岩石は、日本最古の化石産地として有名な越知町横倉山を含め、少なくとも紀伊半島から四国を経て九州西端まで600km以上にも及ぶ断層線上に点々と露出している。数ある日本の城の中でも、おそらくこのような古い、しかもロマンを秘めた岩盤の上に建つ城は他に類を見ないであろう。

 角閃岩は、大高坂山周縁および城郭内に点々と露出しており、石垣の間詰石(まづめいし)や石材としても所々に使用されている。かつて、追手門入口東側の石垣に極めて新鮮な立派な角閃岩の間詰石(長径24cm)があったが、いつの間にか他の全く異なる石とすり替わっていた。城郭資料、また地質学的資料として貴重な“生きた教材”であったため大変残念である。自然に抜け落ちるようなものではなく、一体どうしたのだろうか。

 城と言えば、とかく外観や構造などが注目されるが、石垣に使用されている石材にも多分に特徴や地方色があり、多くの情報が詰まっている。そういった観点から見るとまた違った面白みがある。

 例えば高知城の場合、チャート・珪質岩(けいしつがん)を主体とする石材に混じってまれに石灰岩が見受けられるが、これはかつての長宗我部氏の居城・浦戸城の石垣に使用されていたもの(おそらく稲生石灰岩)を再利用したものであろう。また、大高坂山西麓(せいろく)には蛇紋岩が露出し、これも所々に間詰石として使用されており、高知城ならではの特徴であると言える。

 高知城は城本体も石垣も歴史と特徴を秘めていて、実に興味深い。

こうちミュージアムネットワーク 越知町立横倉山自然の森博物館 安井 敏夫
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