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このページは、高知市広報「あかるいまち」に掲載されている「歴史万華鏡」のコーナーを再掲したものです。
歴史万華鏡
執筆「こうちミュージアムネットワーク」の皆さん
第23回 先見性と実行力に富んだ行政マン
高知市広報「あかるいまち」2014年2月号より
洞内は幻想的で神秘的な世界を体感できる。
●洞内は幻想的で神秘的な世界を体感できる。
 香美市にある龍河洞は、日本有数の観光鍾乳洞の一つである。一億七千五百万年もの歳月が造り出した鍾乳石や石筍(じゅん)は造形美に溢れ、洞内出口付近からは弥生時代の人類の生活跡も発見されている。昭和九(一九三四)年には国の天然記念物および国の史跡にも指定された。

 平成三年発行の『龍河洞六十周年記念史』に、大町俊夫氏の寄稿文がある。彼は県に在職中、溝渕知事の直命により龍河洞整備促進事業に携わった人物である。

 寄稿文によると、大町氏は昭和三十三年のNHK高知放送局テレビ開局記念放送の祝宴で、ペギー葉山さんに懇願し、『南国土佐を後にして』を歌ってもらった。これがきっかけで、二週間後の同局番組「歌の広場」に出演し大ヒットする。注目を集めた高知県は、一躍観光地として全国的に知られるようになった。

 昭和三十三年、県・高知市・土佐山田町(現香美市)・土佐電鉄・県交通・県観光連盟・龍河洞保存会などで「龍河洞整備促進期成会」が結成された。三カ年計画で総予算は約五千万円。現在に換算すると約三億円ほどである。

 大町氏は、駐車場整備や洞内照明、野外博物館の設置などを計画。当時の県商工観光課長から「思い通りにやれ」と許可が出た。地元の若い坂本氏を助手として、効果的な照明手法を用いて洞内に幽玄境を出現させた。また、駐車場の拡張や庭園の造成なども進めた。

 博物館の建設に当たっては、修学旅行が多かった小学四年生を対象に構想を練る。専門的・学術的にならないよう図書館に通い研究し、地学的な物、考古学的な物、洞窟生物などを分かりやすく陳列。建物の外観は古代建築様式、屋根は弥生式、土台は平安調の回廊を組み入れて高台にした。このデザインは画期的で多くの称賛を得た。

 年間通して多くの観光客が訪れ、今や高知を代表する観光資源となった龍河洞。「南国土佐」のブームに乗り、再開発していなければどうなっていたのだろう。

 いつの時代にも先見性と実行力に富んだ行政マンがいることが、その地域の発展につながることを痛感する。先人たちの努力と地域の協力により、今の龍河洞がある。その心を忘れることなく伝え、ますます発展することを願っている。

こうちミュージアムネットワーク 龍河洞博物館 原 健次
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