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このページは、高知市広報「あかるいまち」に掲載されている「歴史万華鏡」のコーナーを再掲したものです。
歴史万華鏡
執筆「こうちミュージアムネットワーク」の皆さん
第18回 川谷横雲揮毫(かわたにおううんきごう)の史蹟(しせき)記念碑
高知市広報「あかるいまち」2013年8月号より
川谷横雲が揮毫した山内容堂公誕生地の記念碑(追手筋)
●川谷横雲が揮毫した山内容堂公誕生地の記念碑(追手筋)
 市内の街角で見掛ける史跡や旧跡を表す石碑。日頃、何気なく通り過ぎてしまうのだが、よく見るとさまざまな書体、書風がある。その中から、今回は昭和三(一九二八)年十一月に高知市が建立した「史蹟記念碑」を紹介する。

 昭和三年十二月の『高知市報』には、「市内の顕著なる史跡に記念碑を建てこれが湮滅(いんめつ)を防ぎ不朽に伝え、永遠に顕彰」するために九つの碑を建てたとある。同年十一月、昭和天皇の即位式( 御大典(ごたいてん))が執り行われ、日本国中がさまざまな祝賀行事、記念事業に沸いた。この史蹟記念碑も御大典を機に計画されたもので、鹿持雅澄(かもちまさずみ)誕生地、坂本龍馬誕生地、吉野朝時代古戦場址(あと)、山内容堂公誕生地、野中兼山邸址、立志社並高知会所址、中山高陽(こうよう)誕生地、武市半平太宅址、間崎滄浪(まさきそうろう)宅址が選ばれている。このうち、坂本龍馬誕生地の碑は田中光顕(みつあき)の揮毫によるが、その他は全て川谷横雲の揮毫である。

 川谷横雲は、明治七(一八七四)年、現在の安芸市川北横山に生まれた。高知県尋常師範学校に進学後、西川蓼華(にしかわりょうか)に書を学ぶ。蓼華は、貫名菘翁(ぬきなすうおう)の書を追求し、当時高く評価されていた。横雲は、蓼華との出会いによって書の道を究めることを決意し、師範学校卒業後、安芸郡内の小中学校に勤務していたが、明治四十三(一九一〇)年上京。当時、書道界の第一人者であった日下部鳴鶴(くさかべめいかく)の門弟となり、比田井天来(ひだいてんらい)、丹羽海鶴(にわかいかく)ら後に日本書壇を代表する書家と共に、十二年間修練に励む。大正一〇(一九二一)年の帰高後は、高知師範学校や高知女子師範学校などで書道を指導し、後進の育成に尽力した。

 横雲は高知に居ながらも、当時の日本を代表する書会の役員や審査員にも抜てきされ、その実力は広く日本中に認められるところとなった。これらの功績により、昭和二十五(一九五〇)年第一回高知県文化賞受賞。そして同二十九(一九五四)年、八十一歳で没した。
 横雲の作品は多く残されているが、その一つがこれらの史蹟記念碑である。謹厳実直、曖昧さを許さなかった横雲の性格をよく表した力強い線が、その存在感を示している。石碑の前を通った際は、ぜひ、じっくりご覧いただきたい。

こうちミュージアムネットワーク安芸市立書道美術館 学芸員 小林 和香
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