土佐史研究家 広谷喜十郎

181 岩 崎 鏡 川(いわさき きょうせん) -高知市広報「あかるいまち」1998年11月号より-
 岩崎鏡川(英重)は、土佐郡土佐山村菖蒲(しょうぶ)出身の歴史家と知られた人で、明治35年(1902年)以降は歴史研究に没頭し、山内家史料編纂(へんさん)係、維新史料編纂官などを歴任して、自ら日本史籍協会の創立に尽力している。
 この事業は現代でも高く評価されており、日本の史学界で鏡川の果たした役割はきわめて大きいものがある。
 著書には『坂本龍馬関係文書(もんじょ)』(二巻)、『武市瑞山関係文書』(二巻)や『後藤象二郎』『桜田義挙録』『朝幕秘史』などがある。

 なかでも大正15年に刊行された『坂本龍馬関係文書』は特に注目される。この鏡川の仕事があったからこそ、この著書を底本にして宮地佐一郎氏が再編成し、新史料を集めて大著『坂本龍馬全集』(光風堂書店)を出版することができた。

▼『坂本龍馬関係文書』(高知市市民図書館蔵)
坂本龍馬関係文書宮地は全集のなかで、

「もし当時、岩崎がこの仕事を果たしていなかったら、第二次世界大戦をはさんで五十年の歳月は、龍馬を含む幕末維新資料を、どれほど夥(おびたた)しく煙滅(えんめつ)に委ねてしまっていたであろう」

と、鏡川の仕事のすばらしさを強調している。

 また、平尾道雄氏も 、

「その学術的価値は、おそらく今日にあっても崩れないものと思われる (略) その充実した内容は、明治維新史を研究し理解するための不朽の文献として、ますますその価値を加えることを信じて疑わない」(『坂本龍馬関係文書』復刻版の解題(かいだい)

と述べている。

 岩崎鏡川は、『坂本龍馬関係文書』の序文のなかで、

「坂本先生は18世紀の末から19世紀の始頃の欧州政治家の趣があった。
 先生の大(だい:大きさの意)は天衣の縫目なきが如く、何処までも大きいのか、一寸際涯が分からなかったが、夫(それ)であってちゃんと括(くく)りが付いて居た。
 天馬空を行くといはんか、其為す所は毫(ごう)も規矩準縄(きくじゅんじょう)に拘束せられずにして、人の意表外に出づるが、夫であってちゃんと要領を把握して居った。決して粗大でもなければ厖大でもない。中々細心なる刻劃(こくかく)と夫(そ)の痕蹟が見える」

との評価をしている。

 今日、坂本龍馬ブームがおこり高知県では観光の大きな目玉にしている。鏡川の心血をそそいだ仕事があったればこそであり、こうした先学者のおかげであることを決して忘れてはないであろう。

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