土佐史研究家 広谷喜十郎 

307 ジョン万漂流記 -高知市広報「あかるいまち」2010年5月号より-

 ジョン万次郎の漂流記といえば、画人・河田小龍がまとめた『漂巽紀略』(五巻本)が有名であるが、ほかにも「宇佐浦漂流人申口写」(嘉永五年写)、「土佐国難船物語」(嘉永六年三月写)、「難船人帰朝記事」(嘉永五年写)など、漂流記のダイジェスト版の小冊子が現存している。

 当時はまだ鎖国状態にあって外国の実情は知らせてはならないことであり、ましてや、国外へ密航することは、国禁を犯す行為として厳重に処分された時代であった。

 しかし、ペリー来航の嘉永六(一八五三)年以前から数多くの筆写本が存在していた。中には「他見許さず」と記入したものもあり、心を許した者以外に見せないものだった。そのため、一冊の写本が、次から次へと回され、書き写されたに違いない。長崎では地下出版の木版刷り本まで出ている。

 中濱東一郎著『中濱萬次郎伝』(昭和十一年)には、帰国後、土佐藩に登用された万次郎は「藩主を初め全藩の士民に多大の感動を与へたり」と書かれている。彼の漂流話は各方面に相当な影響を与えたようである。

 万次郎が、藩重役・吉田東洋に外国事情を紹介している折、東洋の側近で、熱心に話に聞き入る青年がいた。その熱心さに感じ入った万次郎は、一枚の万国地図を与えたという。この青年が後藤象二郎である。後に、彼は開成館を創設して外国文化を積極的に取り入れていくのである。

 『漂巽紀略』と並んで流布された書物に、藩庁の取り調べ記録『漂客談奇』(嘉永五年壬子初冬吉田文次)がある。吉田文次は後に藩校文武館教授になった人物である。この筆写本が、藩の上層部や上級武士の間で必読の書として読まれ、他藩の大名家にまで提供されている。なお、この書には吉田東洋が序文を寄せている。

 復刻本『漂巽紀略』(高知市民図書館刊)の解説の中で、吉村淑甫氏は、河田小龍と坂本龍馬との直接の出会いは、安政大地震後で、小龍が龍馬の生家近くの築屋敷に住んでいた安政二(一八五五)年六月ごろであったと推定している。

吉田東洋暗殺の地に立つ石碑。(追手筋二丁目)

●吉田東洋暗殺の地に立つ石碑。
(追手筋二丁目)  

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