高知市 歴史散歩


  土佐史研究家 広谷喜十郎

292 高知城下町と春野(二)-高知市広報「あかるいまち」2008年12月号より-

 寛永年代(一六二四〜四三)に入ると、江ノ口川などの河川改修に伴い、高知城下町周辺の比島、大津、布師田、介良、潮江方面でも新田開発が進んだ。『南路志』には、下知方面での「寛永中弥右衛門開之者縱五町横十三町」という弥右衛門新田、「寛永中金田源右衛門開之縱三町横五町」という金田新田、「寛永中入江甚太夫開之縱四町横三十町」という入江新田、上知寄新田、下知寄新田、小腹喰新田が見られ、注目される。

 このように地域の有力者による新田開発が顕著になり、これらの動きはやがて野中兼山の郷士取り立てによる新田開発につながっていく。

 弥右衛門新田は、潮江村庄屋であった山崎弥右衛門が開発したために、その名がある。彼は二代藩主山内忠義の命令を受けて、下知の三ツ頭新田開発を行う。その後「領知三拾石を以、百人並郷士」となり、比島方面の土地開発を願い出て「地高七百七拾石余築留作式に被仰付、弥右衛門新田と唱へ」(『山崎家系譜』)というように自力で土地を開発した。

 『南路志』によると、「長岡郡豊永郷及土佐郡下知村ニ於テ数拾町の田地ヲ開墾新築ス是ヲ弥右衛門ト字ス、又吾川郡東諸木村亀割ニ於テ九拾八石ノ田地ヲ開墾ス、土人其霊ヲ祀リ山崎神社ト称ス」とある。

 弥右衛門は下知村での新田開発だけではなく、長岡郡豊永郷(現大豊町)や吾川郡東諸木村(現春野町)でも新田を開発したという。

 春野町東諸木亀割には、弥右衛門を祭神とした山崎神社があり、彼がこの地でいかに大きな役割を果たしていたかを物語っている。『高知県神社明細帳』の山崎神社の条に、「祭神山崎弥右衛門霊」と記載されているが、明治四十五(一九一二)年に地元の若一王子宮に合祭された。地元では長い間、土地開発の恩人として感謝の意を込めて、お祭りしている。

 なお、明治二(一八六九)年に高知城下の下知村の村民総代が、地区開発の恩人として「山崎弥右衛門殿開基に付、山崎大明神と唱へ、社新建仕、祭礼支度段、地下一同願候間」との請願書を村役人に提出しているが、今のところ下知村に神社が建立されたという事実は確認されていない。

亀割の若一王子宮と同じ境内に祭られている山崎神社(春野町東諸木)の写真

●亀割の若一王子宮と同じ境内に
祭られている山崎神社(春野町東諸木)


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