土佐史研究家 広谷喜十郎

283 江戸時代の伊勢参宮-高知市広報「あかるいまち」2008年3月号より-

 平成二十五年秋、伊勢神宮では二十年ごとに行われる六十二回目の式社遷宮を迎える。それに備えての木曵行事などが始まっている。

 『高知県史・古代中世編』には、春野町に「国史見在社」の伊勢神社が認められることから、土佐における伊勢信仰は、古代から始まったとある。同書にはまた、「中世初期に伊勢参宮が武士・地侍が主体であったものが、後期にはいると一般の農民の参宮も行われるようになった」とある。やがて庶民も直接に伊勢まで参宮に出掛けるようになったのである。

 江戸時代には、慶安三年(一六五〇年)、宝永二年(一七〇五年)、明和八年(一七七一年)、文政十三年(一八三〇年)などに、全国的な伊勢への「おかげ参り」が行われた。中でも宝永二年のものは有名で、三百六十二万人の参詣者がいたという。当時の全国の人口は約三千万人といわれるから、いかにすさまじい勢いで庶民が参宮を行っていたか、容易に理解できる。

 坂本龍馬の先祖である才谷屋の日記には、伊勢参宮の様子が記録されている。

 享保六年(一七二一年)六月十四日に参宮のために、浦戸を出港して、二十四日に大坂に着き、そこから伊勢や京都に行き、閏七月三日に浦戸へ帰っている。その後、享保十四年三月にも参宮に出掛けている。この時は、北山越えの道をとり、阿波へ入国して、三月八日に讃岐の金毘羅宮を参拝。仏生山へも行き、高松から丸亀ヘのコースをたどり、岡山へ出て山陽道の旅を続けて十七日に大坂に到着。同二十五日に大坂を出て、奈良吉野へ寄り、三十日に伊勢中川原に着く。参宮を済ませて四月二日に伊勢を出発し、六日に京都へ行く。十二日に京都を出て伏見で夜船に乗り、翌朝に大坂に到着した。同十七日に有馬へ行っているが、旅の疲れを癒やすための温泉行きだったと思われる。二十日に大坂に戻るが、二十四日には「今度西土イリ来ル象見物仕」とあるように、西洋から日本へ送られて来た象を見物している。日記には何の感想も述べられていないが、おそらく、見物人は皆、驚きの声を上げたに違いない。

 五月四日に大坂を出港し、五日の夜浦戸へ到着している。

往時の伊勢信仰を物語る伊勢神社(春野町西分)

●往時の伊勢信仰を物語る伊勢神社(春野町西分)


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