土佐史研究家 広谷喜十郎

255徐福と天台烏薬-高知市広報「あかるいまち」2005年8月号より-


 県立牧野植物園の薬用樹木園に「天台烏薬」の木が十数本植えられている。地味な様子で、あまり目を留める方もいないかもしれない。

                                                                ●牧野植物園に植えられている天台烏薬の木牧野植物園に植えられている天台烏薬の木
 約二千二百年前、中国・秦の始皇帝の命を受けた徐福一行が、不老長寿の薬を求めて日本にやって来た。各地を探索して回った折、土佐の須崎海岸に漂着した話も伝えられている。背後にそびえる山が薬のある「蓬来山」ではないかと、早速一行は山に登った。これが、佐川町から土佐市にまたがる虚空蔵山(標高六七〇メートル)である。夜になり、木々の葉を折り敷いて寝床としたので、そこが後に「柴折峠」と呼ばれるようになったという。夜が明け、大海原に上る日の出の光景に感激した一行は、鉾を高くかざして喜んだ。ここが「鉾ガ峯」と呼ばれている。

 和歌山県新宮市で亡くなったとされる徐福伝説を尋ねて、新宮市へ行ってみた。新宮駅前には、江戸時代初期に建立された大きな墓があり、公園になっている。

 徐福が求めた不老長寿の薬は、初め天台烏薬だと言われており、公園には天台烏薬の木も植えられている。土産物店では、この葉と熊野番茶をブレンドした「徐福茶」や天台烏薬の苗木を販売している。また、公園内には、天授二年(一三七六年)中国に渡った土佐出身の名僧・絶海が、明の洪武帝と熊野の徐福祠についてやり取りした「詩文」の石碑が建立されている。

 奈良県大宇陀町には、国史跡・森野旧薬園がある。八代将軍・吉宗の命を受けた植村佐平次が、享保十四年(一七二九年)から全国の薬草調査をするが、奈良では森野家の当主が随行し、その経験を生かして造った薬草園である。この門前にも、天台烏薬の古木がある。この木が薬草の中でも代表的なものと考えられていたことが分かる。牧野植物園の説明板にも、芳香性のある健胃薬として用いられ、中国、台湾に分布していることが記されている。

 薬草関係の書物によると、天台烏薬の木は江戸時代中期の享保年間(一七一六年〜三五年)ころに伝来したもので、中国浙江省の天台山に産するものが最良品であるとして、日本の本草学者が命名したようである。残念ながら、徐福とは年代が合わない。

 徐福が探し求めた薬は何であったか。諸説あって、今も検討され続けている。 

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