土佐史研究家 広谷喜十郎

235 鎮守の森-高知市広報「あかるいまち」2003年11月号より-

  十月一日は日本酒の日である。  
  古代中国では、一年の始まりは冬至で、十番目の月・酉(とり)の月は穀物が収穫されて、新酒が作られる月である。すなわち、古くから酒の月とされていた。  
  日本でも、明治年間に設けられた酒造法では、十月から翌年九月までを酒造年度としている。従って十月一日は「酒造元旦」といえる。  

 最近、上田正昭氏(京都大学名誉教授)や上田篤氏(京都精華大学名誉教授)らが中心となって、鎮守の森を主題とした「社叢学」という新しい学問の可能性を探る動きが起こっている。歴史学、自然科学、社会学、建築学などの研究者たちを集めて学会を立ち上げている。
 上田正昭氏は「都市の中の自然が失われて、鎮守の森自体も環境の汚染とともに枯渇していく状況にあります。古くから鎮守の森が、日本の文化、あるいは日本文明のベースとして大きな役割を担ったことは紛れもない事実だ」(『鎮守の森は甦る』思文閣)と強調している。  
    ●潮江天満宮の森潮江天満宮の森

 高知市内の鏡川流域・朝倉地区には、県の史跡にも指定されている円すい形の秀麗な赤鬼山がある。この神体山はふもとにある朝倉神社の森と共にみどり豊かな風景をつくり出している。近くに豪族を葬っていた朝倉古墳もあるので、ここが朝倉郷の古代的な聖地であったことを物語っている。
 さらに、潮江地区の潮江天満宮の森も背後の筆山と一体になって、鏡川にみどり滴るその姿を写し出している。この神社の森は、かつて城下町の人々にとって心の古里であり、祭の日にはたくさんの人々が押し掛けたという記録も残っている。

 介良地区には、富士山信仰の流れをくむ介良富士とか、小富士とか呼ばれ親しまれている山(一六七・九メートル)がある。この山のふもとに酒の神をまつる朝峯神社があり、大きな岩の割れ目から水が枯れることなくわき出ている。古くは、酒造家がこの水をおけに入れ、新酒造りの成功を祈ってきた。ここの神の池には、昔から水の浄化に努めてきたことを示す伝承がいくつかある。なお、祭神が女神であり、安産祈願・豊作祈願の神としても多くの人々からあつく信仰されている。
 各地の鎮守の森などには、多くのみどりが残されている。これらの樹木は、地域の歴史を考える生きた証人でもある。由緒ある神社の森や、巨木の由来を探ることは、地域の成り立ちを理解することにもつながる。これらのみどりを守り育ててきた人々の心をあらためて検証することにもなろう。

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