土佐史研究家 広谷喜十郎

218聖徳太子信仰-高知市広報「あかるいまち」2002年4月号より-
  1月中旬、兵庫県赤穂市への旅で「忠臣蔵」ゆかりの史跡を訪ねたり、同市内の坂越港にも行ったが、港の高台にある大避神社は、聖徳太子ゆかりの人物である渡来系の秦河勝(はたのかわかつ)が祭神だったのでとても興味が引かれた。

 そして、大阪市立美術館では「聖徳太子展」を見学した。たくさんの人々が押し掛けていたので、ゆっくり見物できなかったが、国宝の「玉虫厨子(たまむしのずし)」や重要文化財などの貴重な仏像や絵画が数多く展示されていたから、圧倒されてしまった。

 それらの展示品の中に長岡郡大豊町定福寺蔵(じょうふくじぞう)の聖徳太子童形立像(どうぎょうりつぞう)があり「四国で現在確認できる最古の彫像の太子像で、14世紀後半の作と考えられる」と紹介されていて、聖徳太子信仰の流れを理解する上で日本的にも注目されるとの位置付けがされていた。
    ●五台山の太子宮(南吸江磯坂)
五台山の太子宮(南吸江磯坂)
 中世以降、神仏を信仰するための集団(講)が盛んにつくられるようになり、中には聖徳太子を祭った講もあった。

 『聖徳太子信仰への旅』(NHK出版)によると、仏教学者・中村元氏の「太子講と名付けられるもので、そこでは聖徳太子は大工、職人の信仰対象とされ、技術の神、芸の祖という位置に置かれている」との指摘を受けて、NHKは「兵庫県の鶴林寺に不思議な聖徳太子の像が残されている。この聖徳太子は手に曲尺(かねじゃく)を持っている」と取材している。「(この寺の)太子法要は、盛大に行われる。『建築の心と技術をもらいたい』との大工たちの講が不定期に参拝に来て、御真影をもらって帰る」そうである。

 それに、静岡県三島市の太子堂では「三島大工職人組合では太子の掛け軸を蔵し、正月などには床の間に掲げるほか、作業場にも太子の絵が祭られ、礼拝する人もいる。(略)木彫りの太子像を神棚に祭り信仰している」と紹介している。

 今のところ、高知県内では高知市五台山のふもとにある太子宮、土佐市など4カ所にある太子堂、幡多郡大方町の地蔵堂にそれぞれ聖徳太子が本尊として祭られていることが確認されている。

 五台山のふもとの南吸江磯坂にある太子宮は『ふるさと発見〜五台山の史跡・文化財』(高知市教育委員会)では「聖徳太子を御祀りし、商工業の神として崇敬されている」と記述されており、神社の南西部に高さ約25メートル、根回り3.5メートルもある神木の大ヒノキがあるので、古くから信仰されていたのが理解できる。  


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