土佐史研究家 広谷喜十郎

211鏡川と和歌の神 -高知市広報「あかるいまち」2001年8月号より-
 県外の知人から、二十四万石の土佐藩にふさわしい大名庭園がどこにあるのかという質問をよく受けることがある。確かに、岡山市にある「後楽園」のような人工的で大規模な大名庭園はないかもしれないけれども、次のように考えてみてはどうかと思っている。
●筆山と鏡川(鏡川北岸天神橋下から筆山を望む)
筆山と鏡川

 藩当局がまとめた『土佐洲郡志』の潮江村の条に「常磐(ときわ)岩、千代能深谷(ちよのふかだに)、九重林(ここのえはやし)(略)、真澄(ますみ)岩、三馴(みなれ)松、姿峰(すがたみね)、朝倉山、鏡川、十返(とがえり)町、関守花(せきもりばな)、裏見岡(うらみおか)(略)、初音(はつね)森松、卯花山(うのはなやま)、朝日山、四手掛(しでかけ)桜、神楽男松(かぐらおまつ)、雲林(くもばやし)、乙女(おとめ)松、錦岡、布引(ぬのびき)谷、千鳥(ちどり)磯、千本(せんぼん)坂、右元禄(みぎげんろく)年中先君名之(せんくんこれをなづける)」とあるように、文人である5代藩主山内豊房が、高知城下および近郊に広がって存在している山川草木151種類にそれぞれ風雅な名前を付けているのが分かる。その中に鏡川と名付けられた川名も認められる。

 さらに、『土陽渕岳誌(えんがくし)』によると「和歌三神ノ社(やしろ)、大守(たいしゅ)豊房君(くん)宝永元甲申歳勧請(こうしんさいかんじょう)シテ、城南宇津ノ山鎮座シ玉フ」とあり、宝永元年(1704)に山内豊房が潮江村堺(ざかい)にある宇津野峠に「和歌三神」を勧請したという。『神社志』に「豊房公愛賞遊玩之地(あいしょうゆうがんのち)なり、山海の絶勝四時(しじ)の美景(びけい)(略)海辺山中(かいへんさんちゅう)ニ名勝草木岩石名を銘して和歌を詠(えい)し」とあり、浦戸湾を一望できる宇津野峠にたびたび訪れて和歌を詠じていたので、万葉集の著名な歌人と知られている柿本人麻呂らを神として祀ったものである。また、別書には、豊房が植えたといわれる土佐で最も早く咲く「雪井桜(ゆきいざくら)」などがあって、多くの人々を楽しませていたと紹介されている。なお、和歌三神の人丸像(ひとまるぞう)は「歌人頓阿法師(かじんとんあほうし)が彫刻せる人丸百体の一也と称す」(『潮江村誌』)ものと伝えられ、神社は享保15年(1730)に比島の神明神社に移され、天保7年(1836)には城内にあった藤並神社へ移転されたと記録されている。

 昔、物部川や新荘川も鏡川と呼ばれていたことがある。その他の地名にも鏡岩や鏡野などの地名も見られるので、美しい自然や清流をいつまでも保持していきたいとの祈りが込められているのであろう。

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