土佐史研究家 広谷喜十郎


203 大阪と土佐(五) -高知市広報「あかるいまち」2000年11月号より-
 平成2年5月5日付の高知新聞に「108年前の枝盛に習い、三十石船≠ナ水上シンポ」という見出しを付けて「自由民権家であり、かつて明治政府に対し先頭に立って酒税減額運動に取り組んだ植木枝盛の業績をしのんで4日、約40人が出席して大阪・淀川上の船上でシンポジウムが開かれた。」との記事があった。

 これは、枝盛が明治15年(1882)5月4日に、政府の弾圧を避ける一つの方法として、酒税減額を請願するための全国酒屋会議の準備会を淀川の船上で行い、6日後に京都で全国会議を開催したということで、高知市の自由民権記念館が開館したのを記念して東京や大阪の酒造関係者や民権運動家が集まり108年前を再現し、水上シンポジウムを行い、土佐酒で乾杯したという。

植木枝盛
植木枝盛  外崎光広著『土佐自由民権運動史』(高知市文化振興事業団)によると、明治政府は明治11年に醸造税を清酒1石につき1円に引き上げ、同13年にはこれを一挙に2円に引き上げたのであるが、板垣退助の呼び掛けに呼応して県内の酒造業者が立ち上がり、同14年に野村嘉六ら293人が「酒税減額願」を大蔵省に提出したところ却下されてしまったという。

 そこで、県内の酒造業者の意向を受け植木枝盛と児島稔が全国の酒造業者を結集して造酒税減額の請願をする計画を立てることにして、同年11月に枝盛は「日本全国ノ酒屋会議ヲ開カントスルノ書」を発表して翌年の5月に開催する大阪での会議への呼び掛けをした。

 これを知った大阪府知事は開催することを禁止したが、これに対して枝盛は「拙者からの召集によるのではなく、酒造者諸君が自ら来阪されるならば、小生は諸君に面会申し上げましょう」との広告を出し、前述のような行動をとったわけである。この運動は、結果的には失敗に終わったが、家永三郎氏は『植木枝盛研究』の中で「集会自由の防衛には成功している。」と述べている。

 なお、水上シンポジウムで利用された木造船は長さ17m、幅2.5mの大きさで、京都の伏見から出発して大阪市北区の天神橋までの約45kmの船旅であったという。

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