ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
トップページ > 組織一覧 > 民権・文化財課 > 文化財情報 史跡 野中兼山と一族の墓

本文

文化財情報 史跡 野中兼山と一族の墓

指定

高知市指定 史跡 指定年月日 昭和42年 2月 3日

名称

野中兼山と一族の墓

所在地・所有者

高知市塩屋崎町

写真

野中兼山の墓の画像
野中兼山と一族の墓

解説

 野中兼山(1615~1663)は、1663(寛文3)年に辞任するまで約30年間、土佐藩政を掌り、用水灌漑、新田開発、郷士起用、学問奨励等に画期的業績をあげた。しかし、急激な開発が領民の疲弊を招いたとして批判され失脚し、その年の12月15日、急病で没す。
 兼山とその一族の墓は筆山東南側の高見山にある。中心部に兼山の墓があり、その右側に養父野中玄蕃直継、左側に養祖父野中主計益継の墓が、そして前面右側に娘婉[えん]女の墓、左側に兼山の妾で野中清七一明の実母「池氏之墓」がある。