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長宗我部元親

2009年12月25日

長宗我部元親初陣の像の写真

四国の大部分を平定した長宗我部元親

「長宗我部元親」・・・
長宗我部元親 長宗我部元親初陣の像 愛馬の塚 戸ノ本古戦場 一領具足供養の碑 長宗我部元親の墓
長宗我部信親墓所 長浜城 浦戸城 雪蹊寺 秦神社 若宮八幡宮 浦戸港

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長宗我部元親

少年時代はおとなしい性格だったが、のちに四国の大部分を平定するまでに成長した長宗我部元親。

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長宗我部元親初陣の像

長宗我部元親初陣の像地域おこしを進めようと結成した港南地域の異業種集団「一領具足会」が中心となり、没後400年を記念して平成11年(1999年)に建立された。

 「長宗我部元親初陣の像」についてはこちら。

愛馬の塚

愛馬の塚長宗我部元親が秀吉から拝領した『内記黒』の墓であると伝えられている。

「愛馬の塚」についてはこちら。

戸ノ本古戦場

戸ノ本古戦場永禄3年(1560年)5月に元親が初陣を飾ったのが、この戸ノ本古戦場である。現在は戸ノ本団地の一角の公園に、当時の戦死者を葬った塚と伝えられる碑がある。

「戸ノ本古戦場」についてはこちら。

一領具足供養の碑

一領具足の碑元親が安芸国虎攻めにあたり、兵力増強に思いつたのが「一領具足」である。一領具足とは屯田兵のことである。

「一領具足供養の碑」についてはこちら。

長宗我部元親の墓

長宗我部元親の墓慶長4年(1599年)上洛した元親は、まもなく病に倒れ、伏見の邸で同年5月に61歳で死去した。

「長宗我部元親の墓」についてはこちら。

長宗我部信親墓所

長宗我部信親墓所天正14年(1586年)戸次川の合戦で討死した元親の息子・信親の墓。信親は永禄8年(1565年)元親の長男として生まれる。

「長宗我部信親墓所」についてはこちら。

長浜城

長浜城雪蹊寺の裏手の山が、本山氏の支配下にあった長浜城の跡地である。

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浦戸城

浦戸城跡写真高知を代表する景勝地『桂浜』の背後の山一帯が、長宗我部氏最後の居城、浦戸城跡である。現在、国民宿舎「桂浜荘」と坂本龍馬記念館の建っているあたりが、本城になる。

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雪蹊寺

雪蹊寺四国八十八ヶ所第33番の札所である。弘仁年間(810年から823年)弘法大師の開基と伝えられている。

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秦神社

秦神社明治初年の廃仏毀釈により、雪渓寺が廃寺になったため、雪蹊寺に安置されていた元親の木像や、戸次川合戦戦死者の霊板などを御神体として創建された。

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若宮八幡宮

若宮八幡宮八幡宮は武家の守護神として昔から崇拝されている。永禄3年(1560年)の初陣にあたり、元親はこの神社に戦勝を祈願したといわれる。

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浦戸港

浦戸港は紀貫之の『土佐日記』にも登場しており、古くから港として利用されていたと言われている。長宗我部元親の時代には水軍の根拠地としていた。

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