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内原野焼(土佐の手づくり工芸品)

27生活のための器から美術工芸品まで 多様化する内原野焼の魅力

  内原野焼は生活のための器が中心であり、木灰やワラ灰を原料にした釉薬を使った温かみのある素朴な風合いが特徴。登り窯で焼くことで、灰がかかった部分に独特の色や模様が出る。水がめや手水鉢などの大きな雑器が多く焼かれたが、時代とともになくなっていった。昭和30年〜40年代は土佐寒ラン用の鉢が主力となり、今では皿や茶器、酒器などが多く作られている。
 昭和40年代の半ばに、3人の 若手陶芸家によって新たな時代を築いてきた陽和工房は、伝統的な内原野焼の研究・継承に注力し、後継者の育成にも貢献してきた。現在は、独特の風合いを持つ伝統的な内原野焼の他、芸術品としての焼き物も多く作られており、野村窯、福留窯、原峰窯、陽和工房の4つの窯元でそれぞれに味わい深い作品を生み出している。
 正確な温度管理が可能なガス窯や電気窯が主流となり、かつては粘土質を含む内原野の土で作られていたが、今は作風に合った市販の陶土を使用することが多くなった。「内原野焼」は多様化し、数多くの作家を輩出 している。
  内原野陶芸館では、手ひねりや絵付けなど焼き物づくりを体験できる。
 

内原野焼の歴史

 文政12(1829)年、安芸城主・ 五藤主計が内原野に良質の粘土があることを知り、地域の発展のために京都から陶工を招き、焼き物づくりを学ばせた。内原野は陶芸の地と なり、隆盛期には6軒の窯元が水がめ、すり鉢、徳利、おろし皿などの日 用雑貨を製作した。  昭和初期まで登り窯を使って大型の焼き物を作っていたが、生活様式の変化とともにそれらの需要が減少。窯元が衰退する中、昭和 40 年から 44 年にかけ、安芸市出身の京都市立美術大学(現・京都市立芸術大学)の初代学長・長崎太郎氏が卒業生3人を呼び寄せ、内原野焼の復興と発展を目指した。陶芸作品を次々に発表するとともに、陶壁画などの製作も手掛け、この地に生まれた素朴な民陶を守るとともに新たな内原野焼の世界を切り拓いた。

内原野工程

協力:(株)陽和工房


主な事業所

安芸市
        29-1   29-4       
              「原峰窯」                 「福留窯」       

        30-1   30-4          
              「野村窯」             「株式会社陽和工房」


28-1  28-3
削りの作業を終え、フォルムを整えた器は、            内原野陶芸館に復元された、連房式 の登り窯、
10日ほどかけて完全に乾燥させる。                年に1回火が入れられる。 大口(焚口)と3つの部屋があり、
                                       下から順に温度が上昇する。