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戸の本古戦場

戸の本

永禄3年(1560年)5月に元親が初陣を飾ったのが、この戸ノ本古戦場である。

同年同月に織田信長が桶狭間の戦いで今川義元を破り、天下取りへの一歩を踏み出していたとき、土佐では浦戸湾を挟んで、東は長宗我部氏、西は本山氏が進出してにらみ合っていた。元親の父・国親が、種崎城に送った兵糧を本山氏の兵に奪われ、怒った国親は長浜城を急襲した。長浜城城主は朝倉に逃れ、本山茂辰(しげとき)に急を告げ、長浜城奪還のため押し寄せた本山勢2千5百と長宗我部勢1千が、この戸ノ本で対決した。

「姫若子」と呼ばれていた元親は、このとき槍の使い方もまだ知らず、重臣の秦泉寺豊後に「槍というものは、敵の目を突くものと心得られよ」と教えられての出陣だった。この初陣で20騎ばかりの手勢を引き連れて奮戦し、本山勢を打ち破るという、誰も予想をしなかった戦果を挙げ、後には「土佐の出来人」「鬼若子」と呼ばれる武将の片鱗を見せた。

現在は戸ノ本団地の一角の公園に、当時の戦死者を葬った塚と伝えられる碑がある。

 

戸ノ本古戦場跡 

 
場所 高知市長浜2845-8
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