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このページは、高知市広報「あかるいまち」に掲載されている「歴史万華鏡」のコーナーを再掲したものです。
歴史万華鏡
執筆「こうちミュージアムネットワーク」の皆さん
城下町に思いをはせて「追手筋遺跡」
高知市広報「あかるいまち」2017年6月号より
追手筋遺跡全景(南西より撮影)。
●追手筋遺跡全景(南西より撮影)。
 平成二十五(二○一三)年、追手前小学校の跡地で、新図書館建設に先立ち、発掘調査が行われた。江戸時代の絵図によると、家老の山内家や築城惣(そう)奉行として高知城築城に関わった百々(どど)家、藩医の村田家などが居住していたとされる場所で、現在は「追手筋遺跡」といわれている。
 調査では多量の遺物が出土し、中でも県内最多の出土数を誇る約二百点の木簡からは「山内蔵人(くろうど)」「百々出雲(いずも)」「村田」などの絵図にあった名前が書かれたものが見つかり、彼らが実際に居住していたことが明らかになった。
 また、そのほかのさまざまな遺物から当時の暮らしぶりも明らかになってきた。
 出土した土器の中に、当時高級品であった中国産青花や肥前産陶磁器、色絵製品があったことから、土佐の上級武士の経済力の高さが垣間見える。食器や調理具、暖房具、文房具に加え、化粧道具や玩具、箱庭道具などのさまざまな道具からは、生活を楽しんでいた様子を知ることができる。さらにアワビやサザエ、イワガキなどの貝も出土しており、豊かな食生活もうかがえる。
 遺物のほかには、上水施設や池跡などの貴重な遺構も多く見つかった。上水施設はおけや竹樋(たけひ)を用いた半地下式のもので、土佐の上級武士の屋敷内には上水施設が巡らされていたことが分かった。
 また、全国的に類例が少ない、武家屋敷に伴う池跡が、今回は五カ所も確認できた。中でも村田家の池跡は東西十八メートル、南北十八メートルを測り、中島や導水路を備えた非常に大規模で立派なものであった。池の石組には緑や赤などの石が使われており、水に濡れると鮮やかに発色をする趣向を凝らした池跡であったことからも、優雅な暮らしぶりが垣間見える。
 県立埋蔵文化財センターでは十月から追手筋遺跡の遺物などを展示する、特別展「モノからわかる城下町ヒストリー」を開催する。展示するさまざまな遺物から、城下町の歴史を、ぜひ感じていただきたい。

県立埋蔵文化財センター 徳平 涼子
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